旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

一日を二度使う/仕える

自分の仕事の定時は10時−18時で、昼も入れてだけど8時間。
自分が寝るのが大体午前2時なので、そこから帰宅やら夕飯やら家事やらが18時−2時で8時間。
残りは睡眠とか朝の準備とか諸々。


仕事が終わったーさあ帰ろう、というところから自分としては既に一日のロスタイム消化の気分になっているというか、
なんとなく流す方向の気分になっているんだけれど、
本当は仕事してるだけと同じ時間はある。


2回ある8時間を、どう使うか、誰のために使うか、はその人の社会や家庭での役割による。
第2の人生、とかって、たとえば定年前と定年後に人生を分けなくても、
平日と週末に、仕事とプライベートを分けなくても、
1日、となんとなく呼んでいるものは2回なにかを出来るだけの長さがある。


そう思うと私は「2回目の1日」の方を上手く使えてないなー、としみじみ思います。
まあ生産性が高くある必要はないのだろうけどさ。特に仕事じゃなきゃ。


ところで、どんなに自営で仕事を楽しんでいても、会社がブラックで家に帰れなくても、
8時間労働を終わった後に、もう8時間同じことをするのは嫌だと思う。たまにならともかく、毎日は。
効率もすごく落ちるだろうし。


そんなことを考えてたら、先日ホッテントリ経由で下記の記事を拝読した。

主人が帰ってきても、振り向きもせず、抱っこしながら、泣きながら、
ひたすら眠ってくれるように揺れていた自分がいました。


このあたりの日々は、毎日夜が来るのが怖くて、主人が早く帰ってきてくれるよう祈ってました。


ああ、一人でやっているお母さんは、8時間労働の後に、同じ8時間を繰り返しているのだなあと思った。
旦那さんが帰ってきて、旦那さんは1日の仕事を終えていて、その後にまだ。
(寝られてないから、2ターン以上かな。)


私は子供がいないので想像出来ないけれど、
どんなにその仕事が好きでも、1日の仕事が終わった後に同じ1日を連続でやる毎日は嫌だなあ。
イライラするわ。しかも何一つ自分の思い通りにならない案件相手に。


一人でいつまでも耐えられることではないですわね。


じゃあ旦那さん、って訳でもなくて、Twitter

育児に行き詰ったとき旦那に頼ってはダメだ、心身ともに夫婦共倒れになる、と今日三児の母が言ってた。


と教えてもらいました。深い。
いやあ旦那さんも最初の8時間(以上)を終えてからの、だからなあ。
疲れ度は一緒。


外部サービスだいじ。



ところで関係ないけど、赤ちゃんが寝ないと困る、というのは完全大人の都合な訳ですが、
(そもそもフリーダムに生きている物体を社会時間で動くニンゲン、にするのが育児でしょうけれど)
別に寝なくてもいいや好きにしろや、ということだとどういうサイクルなんだろうと聞いたところ、友人のところは

経験からすると寝ても4時間以内には必ず起きる。なので、夜中は必ず2回ぐらい起きておっぱいタイムがあるね、うちの場合。逆に昼でも4時間以上起き続けてることもない(外部刺激にもよるが)。なので、昼寝タイムは必ずある感じ。


だそうで、なにその理性的な生活。私がしたいわ。
朝型か夜型かなんてそんな低レベルな話じゃなかった。
時間を決めずに食う寝る遊ぶ型。


生産性とか言ってるうちはまだまだなんだなあと思い知らされます。
結局、大人になるにつれ失われた自由を自らの意志で取り戻す戦いが人生というものなのかしら。
生まれた頃のように、24時間をフリーダムにまた生きられるようになったら、上がりですかね。
(ずいぶんと話が逸れた)

ブルーレイディスク用の不織布ケースを買う

ブルーレイディスクを保管する際に、ディスク収納用のジュエルケース(厚さ10mm)やスリムケース(厚さ5mm)などを使用するか、スピンドルケースでディスクを重ねて保管することはディスクの記録面がケースに接触しないので問題ありませんが、いわゆる不織布ケースで保存することはおすすめできません。

数ヶ月前にネットでも話題になりましたが、ブルーレイディスクを一般的な不織布ケースで保存するとあまり良くないよという話。
不織布は表面がデコボコしているので長期で積んでおくとエンボスが刻印されちゃうのでしょうかね。
(ブルーレイのスピンドルを買うと、不織布ケースで保管するなと必ず注意書きがある)
かといってジュエルケースやらスリムケースやらは場所取って無理です。うちは。
正直詰め詰めにでもしない限り縦置きしておけばそんなに圧力かからないんじゃないのと思ってスルーしてたんですが、最近、一応ブルーレイ対応を謳う不織布ケースが出てきてたので買うなど。
ひたすら専用引き出しに入れていくのでバインダー式ではなく普通に個別のやつを。


日立マクセルのを買いました。
http://www.yodobashi.com/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%AB-Maxell-FBDI-50WH-%E4%B8%8D%E7%B9%94%E5%B8%83%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B9-%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E4%B8%A1%E9%9D%A2-100%E6%9E%9A%E5%8F%8E%E7%B4%8D-%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88/pd/100000001001763199/
Amazonに売ってないのよねえ。ヨドバシは送料無料なので。あとすぐ来た。)
一般の不織布に比べて、まあきめ細かいです。この差で大丈夫なんかい、と思うんだけれども、
「当社試験により確認済み。」とケース裏に記載してあるので、大丈夫ということにしておこう。
ニュースリリースもがんばりました。↓
http://www.maxell.co.jp/jpn/news/2013/news130613.html




そしてビクターでも出してます。こっちはAmazonにある。

単価的には倍近くするけどこっちの方が多分マクセルのよりつるつるしているんじゃないかな。と思う。


両方ともバインダー式もあるよ。


あと、

こういうケースもあるけれど、保存用にタイトルバーとかは欲しかったので今回は除外。



個人的には、一番上に引用したビクターアドバンストメディアのスタッフブログさんの、どうしても不織布にしたいなら不織布でも行けるBDあるからこれでどうだ、っていう、ケースじゃなくてメディアをお薦めしちゃう姿勢が好きです。


しかし私はメディアは最近ずっとこれをリピートしている。焼きミスもないしコスパ良いし。



同じライン(?)でハードコートと言われちゃうとちょっとこれから迷うところだけれどもね!

家庭基準普通消費量について

信州で育って、大学で初めて他県に出たのだけれど、そこもまあ田舎で、
というか東京には長野より遙かに出やすいのだけれど交通が不便といういわゆる陸の孤島で、
基本的には、特に刺激のない景色の中で日々を暮らす場所だった。
長野から出てきた私には別に生活が変わったわけでもなく、休日に近所を歩いたところで何もないのは長野とは変わらず、しかしやる気出せば東京には余裕で行けるその場所は便利だなあなんて感じていたのだけれど、
東京育ちの人のそわそわ度が酷かった。鬱憤が。曰く、物がない、らしい。


ああこの人達は学校の帰りに寄るところだとか、休日にちょっと出れば楽しいショッピングが出来る場所だとか、レストランだとか、何かこう、刺激というか、キラキラした何かがないと死んでしまうのだ、と知った。


私は消費すべき物が、その供給量が、自分の需要を超えて潤沢に存在する場所に育ったことがなかったので、ああ、そういうものが受け取れ、自動的にそれが更新される場所に育った人は違うなあと思った。
やっぱり供給量が多いから、一日の、というか人生の時間の中で消費に充てる分量が多かった。私より。
読書だけは田舎育ちも都会育ちも変わらないのだけれど、他がね。映画とかイベントとかそういうリア充的なあれ。
(もちろん親の習慣やお育ちの階層にも左右されるのだけど、どのみちそれは消費するコンテンツに溢れてる都会での話)


まあ、大学は勉学をする場所であるので、その田舎は勉学をするには多分適した場所であり、都会に育った友人達もそれは充分分かっていたので、さっさと諦めたり切り替えたりしてその分勉強に集中してはりましたけども(結果私よりもずっと)。


でも、最後まであの場所が馴染まなかった人もいたかなあ。ほぼ毎週末東京に帰ったりとか。


とにかく、他者から供給される、他者によってお膳立てされたコンテンツの消費量というのは育ちによって違うのだなあと初めて知った経験だった。
それぞれみんなそれが「普通」なんだけどね。
コンスタントに遊びに行く場所を探すのか、旅行も定期的に行くのか、はたまた特別なイベントでもなければ何もないのがデフォルトか、それぞれに習慣。



月日は流れ、結婚したら、転がり込んだ先のお家の食生活が、カロリー的に多分実家の1.5倍あった。
うちはどうやら草食家庭だったらしく、肉や揚げ物ってそんなには食べなかった。
肉は一週間に二、三度度食べるかで、揚げ物は月に一、二度とか。
魚と野菜は大好きだったんだけど。
あとおやつを食べる習慣がなかった。特に誰も買わなかった。


嫁ぎ先は男兄弟を育てた家だったので、肉ばかりではないけれども「食べた気のちゃんとする」料理が毎度と、あとはデパ地下などの美味しいお店をみんなたくさん知っており、コンスタントに家に甘い物があった。
わたくしは順応性だけが取り柄であるので、疑問なくその食習慣を受け入れた。
ところ、瞬く間に5kg太った(当然私だけ)。


(納得いかないまま今に至る)


それまでに培われた私の代謝が省エネ過ぎて、肉食家庭にまったく適応出来ていなかったのでした。
あああ、これもまた「普通」消費量の差なのかと実感した。
そこからの類推として、世間の「痩せない」人がなぜ痩せないのかも分かった。
その人が「普通」だと思ってる消費量が、多分普通じゃなくて、多い。
何の気なしに普通に選んでるその飲み物、小腹が減ったときに普通に口に入れる食べ物。
その積み重ねの差。習慣の差。普通の差。


小さいお子さんのいるおうちとか、家族全員で似たような体型していることが多いけれど、
その家の普通が作り上げた体型と言える。


何の消費に時間を割いているかがその人を作る。
その習慣は最初は家庭で作られる。
同じ習慣を何の疑問もなく通せば、親とだいたい同じ人生になる、かもしれない。
どこかでその習慣を見直す機会があれば、違う人生になる、かもしれない。


今の時代は田舎や都会にかかわらず平等に消費できる「インターネット」があるので、
親と同じ時間消費の仕方をしている人は少ないかもしれない。
まあ、テレビを見ていた時間がそれになっただけかもしれないけれど。


何がどうっていうんじゃないけれど、面白いなあと思います。
どういう習慣を持つ人なのかな、というのは面白い。


ちなみに私はほとんど習慣がなくなってしまって、
仕事以外はネットか寝てるか食べてるか。その全てが不規則。
習慣が人を作る、とはよく言われるわけですが、まああからさまに何も作ってない。

内にこもる誘惑

web2.0とかフラット化する社会とか言われていた頃に(この言葉達は今も好きだな)、私がイメージしていたのは、コロニーがたくさん出来るなあ、だった。
好きなことや境遇が似てる人達の塊が平面上に無数に存在してそれぞれ好きなところと線で繋がっている感じ。

多様な情報にあふれるウェブで感じるのはほんと、
人間嫌いなことやってる時間ってないのね。
やりたくないことやってる時間がない。
苦手なことができるようになってもそれで儲かりはしないしね。
苦手なことは誰かが得意で、
嫌いなことは誰かが好きなのね。
安心してみんな自分の好きな方法で社会に貢献すればいいし、
趣味に走ればいい。


(中略)


まあ、来年どうなるかはわかりませんが、


みんな好きなことやりなー。


そして他人に、好きなことを許しなー。

2008年年末のPOSTっぽい。遠いような変わってないような。
基本的にはずっと同じこと思ってはいます。
オールマイティーとかユーティリティーが楽しいって人はいいんだけど、そうじゃない人は全部を頑張らなくていいんではないか、と。


ただ最近は、あんまり世界が狭いのもどうかとは思いました。
新聞を読まなくなって2年くらいなのだけれど、さすがに知りたい情報しか入ってこないね。てか殆ど知らないね!大人として威張ることじゃないけども。
昔はリアルとウェブで世界が別れていて、ウェブの人達はそれでもリアルより広く(深くは無理だな)モノを知っている、という自負が見えたりなどもしたのだけれど、
こうまで情報発信&受け取りツールが充実して、Twitterもすっかりキャズム超え(この言葉自体なつい)して、読みたいコンテンツを消化しているだけで一日なんて足りない。


もちろん、好きなことに集中するのはいいことで、好きなことを極めることで、そこから見えてくるものはあるのだけれど。
(全ての山の中腹までしか登ったことない人より、一つの山の頂上まで登った人のほうが他の山やその頂上との交流はしやすかろう)


で、まあ、どこに戻るかというと教養ですよ、か?
うーんそれも何かな。いや、必要だし欲しいけれども。


ところで最近ログが楽しい。ライフログ
少し前まではTwitterとかFacebookに載せるのが楽しかったんですよ。
これ美味しかった―とかこれ綺麗!とか。
今もそれは楽しいんだけど、一番楽しいのは自分だけで楽しむログだと最近しみじみ思う。
UP用に角度加減して接写した美味しい食べ物の写真じゃなくて、食卓のテーブル丸ごと撮った雑多な感じの適当なスナップやら、
「出社した」とか「寝る」とかの行動記録やら。
他人には当然どうでもいいし、自分で見返しても心底どうでもいいんだけど、なんか楽しい。
自分というコンテンツを一日一日、過去に縫い付けている感じ。


別に、総括も解釈もしないけれども。
ああ、一応生きてたわこの人。生きてなんかやってたわ、と思う。


この楽しさはなんだろうなと。
ネットという同じツールを使っていながら、誰とも繋がっていない場所があるのが嬉しいんかね。


そんなことをやっていると、自分のログか、自分の興味あることか、にしかウェブを使わなくなって、良くないなあでも楽しいなあと、そんな板挟みなこの頃です。
別に悩んでるほどではないけれど。


アメリカの田舎に住んでたりするとこうなんだろうなーと想像する。
テレビ局が数百チャンネルから選べて、ニュースは周りの人の解釈を通して入ってきて、
自分が繋がってる人だけの価値観で自分が安心して暮らしている感じ。
温くて、温かくて、多様性がないから死ぬときは全員で死ぬ感じ。


と、ここまで書いて分かった。
なるほど、自分の居心地のいい、に特化したコロニーに私が居着いたとして、
その多様性のなさ故にある日やってきた一つの病原菌に対して全く耐性がなかったとして、
ああ、その時は死ねばいいのか。


コロニー一つ消えたところで世界にとっては単に淘汰の過程。
適者生存、それ以外の方お疲れ様でした!


なるほど死にたくない人は、世界を俯瞰するわけだ。
自分(達)をなるべく外から、外から判断する。
国外へ目を向け、歴史を学び、広く、遠く未来を見通そうとする。


ああそっちがいいなあ、いいんだろうなあ、と思う。死なないためには。
しかし、内にこもる誘惑ほど魅力的ではない。
なぜだろう。


守りたいものがないからかなあ。
自分は子供がいないからか、そこは弱いかも知れない、と思う。
守りたいものがあればきっと、私はもっと外を見るよね。敵を見極めるよね。
死んだら死んだで、とか言ってられないし。
どうかな。
夫?彼は生きるだろう。私が死んだら彼は生きるし、彼が死ぬ世界では多分私は生き残る。
特にどっちかが残ってもその後の世界に意味はないけれども。


ハリウッド映画ではよく、地球で争っていた国々が宇宙からの侵略に対しては力を合わせて戦う。
(ただし独立を宣言するのはアメリカ大統領に限る。ただしイケメンに限るみたいなのと一緒。)
どの国にとってもさすがに地球自体無くなるのはアウトだからなあ。


そういうノリで、いやあんたんところのコロニーもやばいで、とお互いに危機を共有出来たり、
共通の希望―大きめの物語―を持てるといいのかもしれない。


しかしまあ、ハリウッドの脚本家のように、そうやって物語を作って色んなコロニーを連帯させていく人達もまた、
そういうのが好きでたまらない人達のコロニー(ギルド)を作って作戦を練ってくれていることでしょう。
いやあ彼ら、早くアトラクティブな物語をプレゼンして私の目を外に向けさせて!
なんか多分、気付いたら死んでそうこのままだと(いやそれはそれで幸せかもしれんけれども)!

トラッキング・ア・ゴーゴー

先日Twitterでお子さんの居場所確認の話になって、むかし夫のPHSをトラッキングしていた時のことを思い出した。
ウィルコムにあった位置検索。登録した端末がいまどこにあるかウェブ上の地図で見られるという良くあるサービス。



その頃私は夫の位置情報を知りたかったんだけど、アドエス(って端末がありましてね)とかって移動中にいちいちメール打つには若干面倒くさい仕様。連絡してと言ったところで向こうがしてくるのも面倒なわけで、勝手に把握出来た方が便利よねってわけで使うようになった。


まあ成人のトラッキングはあんまりやる必要ないけど、お子さんや、大人でも認知症の方とかは居場所を把握したい場合が多いと思う。
で、居場所の報告って、大抵は報告されたい(把握したい)側の要求で、報告する側はされたい側ほど居場所報告についての重要性を感じていないし、めんどくさい。
私も小さい頃はよく「なんで連絡してこないの!」って怒られた……気がする。
で、そういう相手にいくらちゃんと連絡しなさい、と言っても思い通りには連絡くれないもんですわね。なにせ重要度低いから。
(あ、でもまあ携帯持ってればその面倒さもずいぶん軽減されるけど。あとメール打てるといい。電話するとどうせ反対されるしとかあると電話もしたくなくなるんだよなあ。)
そういう場合はもう相手に労をかけさせず、こっちで勝手に居場所を確認、が何よりだと思うわけです。
相手も面倒じゃないし、知りたい方も知りたい時にすぐに確認できる。GPSラッキング素晴らしい。お薦めです。


気になることといえばプライバシー云々ですが、どうだろうなあ。
この話を夫に振ったら、うちはお互いのプライバシー感覚が緩いという話しになりました。
ラッキングはやりたきゃお互い勝手にやればいいとお互い思ってるし、相手が自分の鞄開けるとか別に何とも思わない。
別にお互い隠し事ないよね!?って夫婦なわけでもないです。単にその辺が身内に対して緩い神経なだけ。


あと、私も誰にでもオープンというわけではない。たとえば私は夫には居場所を知られてもいいけど義父母には知られたくない。
というのも、うちはいつも義母が夕飯を作ってくれるのだけど、彼らは普通の時間に食事をし、私と夫の帰宅はもっと遅い時間。
ただ、私の方は帰ろうと思えば夫より1,2時間早く帰れる。でもそれだと、彼ら、私、夫、と義母が3回夕飯をセッティングしてくれたりすることがあって、それは(本人は全然苦にならない人だと分かっていても)申し訳ないので大体私はいつも適当に外で時間をつぶして夫と帰宅時間を合せている。
説明がめんどくさいので二人ともだいたい同じ時間に仕事が終わってることになってるんだけど、私がトラッキングされた場合、遅い時間に職場にいないのがバレますわな。
まあバレてもいいんだけどさ。とにかくなんか申し訳ない。


という話を夫にしたら、夫が合点したように「ああ分かった、みっちゃんは俺に気を遣っていないんだ」と言っていた。
つまり私が夫に全てオープンにしているのは、私がどのように振る舞おうが夫は受け入れる(でしょ?)という気の使わなさの現れ、ということだと。
なるほど確かに。
何かを隠したいということは、何かを守りたいということでもあるな、時には。そして私は彼を何かから守りたいという発想はないな。ふむ。
……まああとは夫は何事も別に悪く取りはしないでしょという信頼でもあるんだけれども。
言ってないこと読み取る人だったり何事もねじ曲がって解釈する人だったりすれば全てオープンになんて無理で、その人の脳内に出来るだけフィルタをくぐり抜けて届くようにその都度伝え方を調整するしかないものね。
そうそう、気を遣ってないんじゃなくて信頼よ信頼!




何にせよGPS、付けるなら付けられてる本人が知っていることが重要だとは思います(浮気調査でもなければ)。
疑っているのではなくて、信頼しているのだよという感じでお互い合意出来ると便利なアイテム。
まああと、ママンに隠し事をしたいお年頃のちびちゃんズにはGPS付けられるのと携帯で自ら連絡するのどっちがいい?と脅してもいいか?
3回連絡してこなかったらアウトー!とか。
みんな付けてるよーとか(いう時代になるんじゃないかなあ)。

オリンピック開催が東京に決まってびっくり

主婦歴40年超の義母を見てると、「夕飯要らない」の連絡に対してものすごくあっさりしてるのね。
どんなに美味しいものを作って待ってても。ギリで連絡されても「ああ、そう、はいはい」とすぐにプランB。
もっと早く連絡出来ただろ!って推測される場合も多くて世の奥さんは結構これキレポイントじゃないかと思ってたんで驚いた。
寛容というよりは割り切りなのかな。そもそも相手(夫、息子、嫁)にその、作ってくれる人に敬意を払い自分の状況を報告するというマメさを期待してないし、そいつらの習慣や性格をこれから変えられるとも思っていない感じ。
(主婦の)プロ、なんだろうなあと思う。職人さん。せっかく作った、という感情はもちろんあれど、家庭はまた別の合理性で回す感じ。学びたいわ。

いまんとこLifebear

手帳選ぶのが人生の目的だった時期があるのですが、オンラインも色々試しました。
TODOとかライフハックとかGTDとか名の付く物だいたい。
オフラインも使ってましたよ。ほぼ日手帳超整理手帳、マンダラ手帳、フランクリンプランナーワタミの社長の手帳、陰山手帳、Quo Vadis、高橋の手帳、テンミニッツetc.
もちろんそれぞれいいんですが、結局ここ2年ほどは紙の手帳を使わず、すっかりiPhoneとパソコンで生きています。
今のところ落ち着いてるのはLifebear。便利です。


Lifebear [ライフベア] | クラウド型電子手帳


手帳って基本的に予定とTODOとメモが書ければいいわけだけど、
TODOって直前になると何月何日の何時〜何時にやろうって配置するじゃないですか。
要はTODOから予定になるじゃないですか。
TODOがしれっと予定になる、予定と同レイヤに扱われる、それでいてTODOリストを見るとTODOリストにもいる、
とうことが出来るウェブサービスって意外とないんですよね。Lifebearはそれが出来るので便利。
GoogleカレンダーGoogleのTODOの組み合わせでそれが出来たらそっちにしてたんですけどねえ。)
長い間ツール難民をしていましたが、ひとまずここに落ち着いています。ベーシックというプランで使い中。
見た目も手帳っぽいし、いいです。
iPhoneアプリもまあ便利。Lifebearがんばれー。


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