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サリエリとは違うのね。

『はてなブックマーク - 内田樹の研究室: 村上春樹恐怖症』

(元URL;http://blog.tatsuru.com/archives/001595.php


村上春樹さんの本に興味がないので、この安原さんという編集者の方も全然知らないけれど、この人が古本屋に村上氏の生原稿を売っぱらったらしい。
それもうっかり(ってありえないか)じゃなくて、憎悪から。

嫌だろうねえ自分がほんとは小説家になりたくてでもそれを隠しながら超人気作家の編集者やるなんて。
ただ、どうせならこの立場を利用して開き直って「俺も小説家になりたいんす」って村上氏はじめ職場のみんなに批評してもらえばどうにかなったのかもしれないのにね、ってそんな潔い性格だったら編集者なんて辞めてるか。

最終的にモーツァルトの圧倒的な才能に屈しながらも何はともあれガチンコ勝負した(のか?)サリエリとは違うタイプなんだな・・

「眼高手低」という。
創造よりも批評に傾く人は、クリエーターとしてはたいした仕事はできない。
これはほんとうである。
私自身がそうであるからよくわかる。
私もまた腐るほどたくさんの小説を読んできて、「これくらいのものなら、俺にだって書ける」と思ったことが何度もある。
そして、実際には「これくらいのもの」どころか、一頁さえ書き終えることができなかった。
銀色夏生さんは歌謡曲番組をTVで見て、「これくらいのものなら、私にだって書ける」と思って筆を執り、そのまま一気に100篇の歌詞を書いたそうである。
「作家的才能」というのはそういうものである。
努力とか勉強とかでどうこうなるものではない。
人間の種類が違うのである。
作家と編集者の間には上下の格差や階層差があるわけではない。
能力の種類に違いがあるだけである。
けれども、これを人間的資質の差や才能の差だと思う人がいる。
不幸な錯覚であるけれど、思ってしまったものは仕方がない。

(ちょっと引用しすぎ!?ごめんなさい。どこカットしていいかわからず。。)
眼高手低という言葉を始めて知りました。へー。へー。
辞書ひいたら、
”批評はできても、実際に創作する力のないこと。”
という身も蓋もないご説明^^;。

批評しながら創造できる人もたまにいるけどねー。
でも理屈っぽい作品つくるか。
自分がしてきた批評に縛られて。


・・・ただ、逆だと思うんだな。
なにが逆かというと。

何かを本気でやりたかったら、他人を批評してなんていちゃだめなんだよ。
比べたりとか。気にしたりとか。そんなことやって精神が不安定になってる暇あったら、
自分の理想や、自分のあるべき姿だけを見つめて、一直線に進まないと。
それが出来た人だけ生き残るんでしょ。
才能優劣、っていうより、執着の度合いというか。
価値観なんて未来にはないんだから、何が成功するかわからない。
天才タイプでも、努力タイプでも、どっちでも、突き進んだ人勝ち。


それが出来ずに批評始めちゃうとやっぱり、
たとえ才能があってもそれを自分で止めちゃう感じがする。

それ負けだよ、多分こういうタイプの人。もったいない。