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『ウェブ進化論』の文系的妄想(web2.0が気付いた2つの真実)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)by id:umedamochioさん
(いやっ、あのっ、結構前に読んだんだよもちろん、、)


理系の人の文章だなあ。
しょっぱなの文の係り受けが不思議な感じなのはまあどうでもいいとして、
素材で物語を編もうとしないところが、
知に対して誠実な理系のにほひ。
今のウェブの現状と、それを支える思想を淡々と、オプティミスティックに紹介している。
一つ一つは、これからの社会の可能性の提示なんだけど、
それらを起承転結に配置して方向性を与えて物語を編んだりしてしまおうとはせずに、
粛々と配置しているのがすごい。
まあ、素材自体がある意味感動的だから、いいのか、その素材を生かすには手を加えないほうが。
(関係ないけどこの対極の本が『下流社会』だと思った。多くは言うまい、、)


ブログ風なのかな。一つの章がカテゴリで、一つの小見出しがエントリ、
カテゴリを越えたエントリ同士をたまにリンクで結ぶ・・。


とにかくちょっと、本っぽくなくて、まずそこに興味を持ちました。


さて、どうしよう、内容は私なんかがここでまとめなくてもウェブ上に山ほどあるもんね、、。


ということで早速感想。



ウェブ性善説ですね。
違うか、
ウェブで性善説を実証しよう、か。


私はアリだと思う。
なぜなら、疑うという行為には価値がないから。
現実は、まず信じることから発生する。
何かを信じて蒙る被害や失うものなんて、
本人が執着してさえいなければ、案外全くないものです。
こっちが好きでやってんだから、あとはそっちがどう扱おうと勝手。
信じたのは俺の意志だ。信じた責任は自分で取るぜ!
大人の世界ですね。


私が大学に入ったのは1996年。
大学1年の情報処理の授業(これも珍しかった気が)で初めてパソコンを触った。
学校でもらったメールアドレスが人生最初のメールアドレス。
DDIポケット使ってたな。あの頃はiモードなんてもちろんなくて、
DDIのPメールがすごい先を行っている感じがした(その前がなんせポケベルだからねぇ)。
少し経って、gooで初めてフリーメールのアドレス取得して嬉しかったっけなあ。
半年後、メーリングリストというのを始めた。
あの頃は誰かが自分のアドレスを提供して構築してくれてた。
初めて買ったパソコンは初代iMacボンダイブルー。なんかクリップでリセットするやつ(笑)。
ローリングストーンズのShe's A Rainbowで5色のiMacがくるくる回るCMの1年くらい前か?
NTTのテレホーダイが始まる夜11時にダイヤルアップ接続大会。
あの、ピーってモデムの音が聞こえると嬉しかったんだよなあ。
ああそうだICQでよくその夜の飲み会の計画したなあ。はっほー!
手作り感満載のウェブサイトが世界に溢れていた。
作成ソフトはあったけど、タグを手打ちするのがなんかいいことみたいな感じだった。
掲示板もbrタグ入れなきゃ改行されないのなんてあったり。
そういや大学4年のときに少し使ってたDoCoMoのポケットボード、
あれ、今使っても何気に便利な気がするんだけどどうしたっけ。。。


って回顧が目的じゃなくて、そうそう、世代としては、「パソコン通信直後」かな?
職業は全然ITじゃないけど、webに結構軸足が乗っかってる私。
web1.0を大喜びで消費してきた世代、ってことが言いたかった。


だから、2.0っていうのが、何なのかなんとなく分かる。
ただの道具だった「あちら側」が思想を持ち始めたのだ。
あちら側のルールを。
まるで意志を持ち始めたコンピューターのように。


web2.0
個人的には、二つの属性があると思う。
一つ目は、神は遍在するということに気付いたということ。
これの一つ前のエントリでも書いたんだけど、
神って、上に居てみんなに崇められるものではない。
奉られることによって神々しさを発揮するものではない。
神は誰の支えも承認も必要としていないし、罰したり褒めたりすることもない。
なぜなら神は全てを持っているので、それ以下の存在に不満を覚える神経が無いから。
神は逆に、遍く在る。
知らずに人を、それ無しでは生きられなくしている。
ひそかに全ての事象につながりを持たせている。
わざわざ意識されないほどに人々の間に入り込んでいるという、
力を誇示せねば認識されないような陳腐な存在感ではなく、
分かる人にしかわからない絶対的な「存在」自体を持つ。


簡単に言うと、
汎用で、標準で、インフラであることが、
特殊で、奇抜で、オンリーワンであることより
強いパワーを持っているということ。
オープンでなインフラを取り入れ、人はその上にやすやすと自分のアイデンティティを築いてしまう。
気が付くとそのインフラを外すことが出来なくなってしまう。
片や特殊なものは、誰かの道具となり得ても、誰もその上に自分のアイデンティティを構築しようとはしない。飽きたり、もっといいものがあれば捨てられる。



二つ目は、人々が既に物を持っている、ということに気付いたということ。
欲しいものを手に入れるために、リアル(こちら側)では、お金が必要だ。
それは物理的に遠いもの同士や、違う価値体系にあるもの同士を仲介する役割を持つ。
私たちは、何かが必要になったときのためにお金を稼ぎたくて貯めたくて殖やしたくてしょうがないけど、
よく考えると、別にお金に一回変えなくても、
欲しいものがそのまま手に入ればいいわけだ。
欲しいのはお金じゃなくて、その先で手に入れられるものだから。
昔の物々交換は、お互いがお互いの欲しいものを持っていないと成立しなかった。
お互いの欲しいものを持っている同士のマッチングは今までは難しかった。
だからみんな、一度お金に還元する必要があったのだ。


しかし、webというシステムは、世界をフラットにし始めた。
誰からも情報に届く距離を同じにし始めた。
そこに一度乗っかってしまったものたちは同じシステムで扱われるようになった。
印刷部数に関係なく本の露出が同じになった。
作家のエッセイと素人のブログが同じ土俵に置かれた。
自分の持っているものを欲している人と、自分が欲しているものを持っている人が
同じでなくてもよくなった。
自分の持っているものはwebに投げ出せば誰かが回収し、
自分の欲しているものはそれとは別にwebから拾い上げる。
そう、私たちは最初から物を持っていたのだ。
こんなにも豊富に。



・・文系っぽいね(笑)。



さて、そんな世界だから、まだお金との折り合いは付いていない。
こちら側の論理、
情報なり距離なり能力なりの格差で構築した「価値」を
持たざるものへ渡すときにお金を使うというシステムと、
あちら側の論理、
お互いに持てるものを投げ出し、持たざるものを拾うという価値観の、
二つが存在している。


梅田さんも、たとえば、総表現社会表現者は飯を食えるか、と言う点で、
まだリアル(こちら側)依存がしばらく続くだろうと書いている。


そうそう、webで一番初めに侵食され共有されたのは、文字だ。
文字が物理的な制約を受けることがなくなった。
コピー&ペーストで、簡単に世界を旅する誰かの文章。


たとえば技術屋ならそういうことにはならない。
自分が作った何かがWeb上に全て乗っかることは出来ないから、
自分の価値がwebに流れ出さない。
物理的、能力的制約は守られ続け、
依然こちら側でお金に変えられ続ける。


今は画像が、音楽が、そして映像が、流れ出し始めている。



著作権」で権利を守り続ける必要が、しばらくはある。
相当しばらくは、ある。




しかし私は、梅田さんよりもなお、オプティミスティックになってみたい。
最終的には、お金の方が、いらないのだ。


実際の世界は不均衡で、貧富の差はなくならない。
持てるものは持ち続け、持たざるものは持たないままである。


今、日本は少子化で困っているけれども、
私たちが子供を作らなくたって、発展途上国で食べ物もなく今日も死んでいく子供達を、
引き取って尚世界に人は余っている。


今、どこかの国では誰かが餓死し、誰かは服を1着しか持っていないけれども、
食事を残し、服を季節ごとに買いまくる私たちが、同じ地球上に住んでいる。


今、みんなが石油に群がっているけれども、
将来の欠乏という脅迫的不安の前に、そもそも本当に無ければ生きていけないのかを検討する余裕が無い。
誰かが木を一生懸命植えている同じ地球上で、
他の誰かが恐ろしく燃費の悪い車を大喜びで走らせる。



インターネットは、Webは、世界自身となることは出来ない。
誰かが入力し、公開しなければいけない、ただの情報の集合体だから。
でも、物理的なものが行き来することは出来なくても、
どこに何があって、どこに何がないのか。
そういう情報だけでもみんなが入力し始めたら、共有し始めたら、
世界の流動性が変わる。



お金にいちいち変換しなくても、
あるところから無いところへ、物が直接循環していけばいい。
そう、私たちは既に充分のものを持っている。
人はそもそも、働く必要はあるか?
好きなことをやって、大好きな人たちと一日を過ごすことが、
なぜ1ヶ月に10日もやれない?
なぜ必要以上に物を作る?そして余らせる?
なぜその時間に人生を楽しめない?


それはみんながお金を目指しているから。
自分が本当に欲しいものではなくて。



・・長くなっちゃった。



私は、「あちら側」の論理が好きだ。
「あちら側」の方が、人間らしいと思う。



ものすごく、長い時間がかかるかもしれないけれど、
そして、過渡期は始まったばかりで、ものすごく苦しいかもしれないけれど、
いつかきっと、全てがあちら側になると思う。
というか、そもそもみんながあちら側的な価値観で、
で繋がっていたんだということに、
気付くと思う。


物理的格差と情報格差さえなければ、
そもそもお金なんか要らなかったんじゃん、ってことに・・。