旧 はてブついでに覚書。

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共産主義2.0??


前書いた、web進化論の妄想的感想にTBをもらった。
 Bellog:Web2.0=共産主義?


にゃるほど共産主義的かあと思ってたら、


ちょうどはてブにもそんな共通性を説いたエントリが上がっていた(むずかちい)。
 池田信夫 blog:マルクスとロングテール




web無しで共産主義やろうとすると、
どうしても、富や情報を一度掌握するための「中央」が要る。
富も情報も人々の未来も、中央から再配分されるしかないわけだ。
上から平等を与えてもらうかんじ。


でもweb2.0の場合は、別に中央は要らない。
突出したえらい人やえらい組織の代わりに、
偏在する神(システム)を使うことによって個人が立ち上げた無数のハブがある。
下から格差を埋めていくかんじ。



中央統制の垂直的共産主義では
そういう制度で果たして自分の人生が幸せでお得なのか、人民にはさっぱり実感がないし、
中央が全人民の特性を見極めて各人の人生を最適化(最高の人生をセッティング)してくれるわけじゃないから、
中央は、人民に、とにもかくにも、たとえお仕着せでも
平等であることが最善であるという「思想」を植えつけることによって
ある程度の人間の欲を抑制する必要があるのだけれど、
(webなんてとんでもない世界ですなぁ、)


もしそこにwebなんかがあっちゃったりして、それをむしろ積極利用したハブで繋がる並行的共産主義があったら、
別に人々は平等でなくてもよくて、
むしろお互いに違う部分(特性)を発揮して、全体に還元したりそこから何かもらったりしようよ、
ってことが出来るわけだね。妄想上は。
そして自分が自分の能力を最大限に発揮して全体に還元したときに、
それは損ではなくて、それ以上のものを得るに至る、むしろ得かも
みたいな良循環を自分自身で確認できるので、
人間の欲とも矛盾しない。
今度こそほんとに、マルクスが夢見た(のか?)「自由」を手に入れることが出来るかもしれない。


共産主義2.0は悪くないかもしれませんね。




って、ただね、主義なんて作らないに越したことはないっすよね。
主義や定義が出来たとき、その瞬間からそれは淘汰される、止揚される、批判される対象となるわけで。
体制を張り切って作ったその瞬間に、反体制も誕生するでしょう。
たとえどんなに理想的に稼動するシステムでもね。
とにかく、主義を動かそう、体制を作ろう、と中央になりたがる何かがあると、
必ずそれが気に食わないってあまのじゃくは出てくるわけです(って私か?)。



web2.0が何かなんてことも意識せず、啓蒙せず、まとめず、定義せず、
ましてやその中央になろうなんて本末転倒なことを考えず、
がんばって肯定せず、がんばって批判もせず、
ただただゆるゆると、それこそみんな「平等に」、好き勝手に可能性を開拓していく。


そうしていく中で、
個人個人が自分の「経験」として、オープンは気持ちいい!とか、群集って結構やるじゃん!とか、
実感していく。
上や中央から主義や思想で啓蒙されるんじゃなくてね。
何か、平等というよりも、フェアであることの清々しさを獲得していく感じ。



さてそれがどういう未来に繋がるかな?


って、それは私たちがこれから創るものだから、なんとも言えないわけだけど。。



ただ、人民の、人民による、人民の為じゃなくて自分の為でいいんだよ的web2.0
中央要らず、自己責任。
時にはおイタもするし、痛い目にも遭う。
でもそれでも人とのつながりを諦めきれず、どうしても色々実験してみたい。


そんな感じの、バカっぽい明るさが、web2.0には似合う感じしますね。