旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

ペイフォワードとギブファースト


しつこくてすみません。引き続きウェブ性善説について。
妄想的に連作なので、歴代のカテゴリをweb2.0に統一しました。。って拡大解釈もいいところだなあ。まあいいや。


えっと。


世の中の正しいあり方って、
ペイフォワード、
なんじゃないかなあ、とうすらぼんやり思っている。


人から受けた親切は、たとえその人に返せなくてもいい。
自分がまた、誰か他の人に親切にすれば。*1


たとえば、先輩から奢ってもらった恩は後輩に奢って返す。
親に育てられた恩は、自分が子供をしっかり育てることで返す。
(最近は自分が育てられたことはスルーで自分が育てたコストを子供から回収しようとする親が多くて辟易だけど。)


誰かに何かをしてあげて、その人にお礼をして、だけだとそれで終わっちゃうクローズドな関係だし、なんか利害関係や下心でもないと発生しなさそうだけど、
ペイフォワードだったら、輪が閉じずに、循環していくでしょ。あと、全く関係ないところから突然恩恵が降ってくるから感動も大きいし、結構粋な気分になれると思う。


”あの人は恩をきっちり返す性格だから”、から、
”この世界は恩がきっちり還ってくるシステムだから”、へ。
人が安心して未来に希望を抱ける、
そしてそれを自分たち自身が維持しているという自負を持てるシステム。。。



誰かに恩を売る、そしてその人からそれを回収する。
そういう関係だけだと、正直結構辛い。
(本人がそういうつもりでなかったにせよ、片方が思ってたりとか。)
情けは人のためならず、くらいにおおらかに考えている人ばっかりならまだいいけど、
自分が売った恩を手早く回収しようとするせっかちな人が多い気がするし。最近。


なんていうかな、たとえば「縁」という言葉は、本来は自分があずかり知らない範囲まで、
もう風が吹けば桶屋が儲かるどころではなく、
宇宙サイズでしかも量子レベルで干渉が発生しているくらいなサイズを示す単語だったと思うんだけれど、
どうも、自分が見える範囲(たとえば人脈とか)しか「縁」として捉えられずに、
その中で目いっぱいシミュレートしてせせこましく動いちゃう人が多い。
自分じゃ戦略家のつもりなんだろうけれど。


思い切って大損こいてものすごいいいことしちゃうバカ、
みたいな人はいなくなってきてる。自分含め。
昔だったら、そういうのは粋と呼んで、リスペクトの対象だったのに。



まあ、とにかく、そういう、P2Pの逃げ場のない関係性を、
お前との縁をロックオン!えぇー!?みたいな関係を、
ウェブを使えば脱することが出来るんじゃないか、、、。
と私は強い希望を抱いている・・わけです。
あ、そして、究極的には、貨幣なしでね。。



ただ、こういう世界が、仮に万が一可能だとしても、すぐ実現するわけない。
とりあえず、お金に関しては、コストをかけた本人にきちんと対価がもどらないと、
やっていけない世の中はまだまだ続くので、過渡期対策をしないといけない。
(妄想上勝手に過渡期としておりますが、ご容赦を)


・・ということで、前回のエントリで、
総表現社会の今、表現で生きていこうとしたら、
人々の善意に縋ってオープンに賭けるしかないんじゃないか、と言ってみてしまった流れで、
すこし、善意への縋り方をかんがえてみた。
そしたら一つしかなか思い浮かばなかった。


ぶっちゃけ、


「御代は見てのお帰り。」



まず手に入れて、そしていいと思ったら払おうよ、と。
ええそりゃあもう性善説ですとも、、。


もちろん、今のリアル社会にはそぐわない。
買ってもらうということは、
買う人にとってはその買ったものから受ける価値への対価なんだけれども、
売るほうにとってはそれまでかけたコストの回収という意味合いがどうしても強くなってしまうので、
もう、さっさと、物が渡った瞬間にお金を受け取りたい。
ほとんどのものは使ってから返品なんて出来ないし、
医者は治る前から金取るし、
本も立ち読みで読破してから買う人はいない*2


それだからこそ、使われる前に、読まれる前に、買われる前に、
どれだけそれがその価格に見合った価値を持っているかを示すこと、
そう、「広告」がこれだけ盛ん。
web2.0だって、その収入源の多くをリアルの「広告」に頼ってる。


でも、ウェブがその関係を崩し始めて、
金が払われる前からその中身が露呈され始めて、
企業の粉飾はどこかから漏れて簡単に剥がれ落ちて、
結局誰もが、正直であることしか選択できなくなってきている。
スペック以上に価格を吊り上げることや、
本来は客に払わせるべきではないコストを載せることも難しくなってきている。


私たち消費者がいつも、多少ずるをしてでも、安く何かをゲットしようとしているのは、
そういう、企業が余計に搾取しているんではないか、という疑いを常に持ちながら、
それを少しでも減らせないかと知恵を絞っている結果だ。


でも、その価格が本当に適正なら。
それが信頼出来るなら。
私だったら、普通に払う。
値切らず、叩かず、正当に払う。


その究極的な形が、
後払い、だと思う。


前エントリでも嘆いたけど、
文字や音や絵は、ウェブに喰われやすい。コピーが簡単だから。
でも逆にいうと、それは増産にコストがかからないというメリットでもある。


リアルのモノは、一つ一つにそれだけのコストがかかっているから、
そんな、払うか払わないか分からない相手にモノを渡しまくることは出来ない。
でも、ウェブ上の情報だったら、出来る。
1人に買われようが、100人に買われようが、コストが変わらないから。



よいと思ったらちゃんと買う。
それをみんながやったら、すごいと思うんだけどな。
(ダメなものはダメだろうけれども)


とりあえず、もし、web2.0陣営が、
こういう”粋”なことを、システムとしてきちんと回したら。


それは結構、リアル世界に、(仮想敵の)エスタブリッシュメント達に、
結構なカウンターを与えることが出来るんじゃないかなと、、。
コピープロテクトに躍起になってる人たちの、鼻を明かせるかな、、とか、、ね・・。



ペイフォワードでギブファーストな世界。
どうでしょうかね。
やっぱ、ユートピアなのかなあ。
ううむ。


なんかそれ以前に、もうこういう話がweb2.0と関係あるのかないのかわからなくなってきましたけど(汗)。

*1:映画だと、1人が親切を受けたら3人に親切を渡していくことで世界をbetterにしていくアイディアでしたっけ?

*2:プレゼンで負けてもそのコストは負担してもらえないけど^^;・・あ、そうは言ってもフィー制のところも結構あるのかなあ。まあ、それはそれとして。