旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

発展よりも循環

をがんばってる人の方が最近泣ける。
歳かな。


風呂敷を拡げる人は華々しいが、
熱狂を追いかけて、人々がが通り過ぎて行ってしまった後に
淡々と包みなおす人は、美しい。



夜、NHKの、『BUSINESS未来人』という番組を見た。


てんぷら油を回収して自動車の燃料にしているガソリンスタンドの専務さんの話だった。
ってもう全編まとめてあるんじゃん、さすが、、。


この人、家業のガソリンスタンドを継いだものの、競争は激しい。
他店より1円よりも安く、という辛い業界。


京都議定書が採択され、環境がブームになったとき、
ふと、自分のやっている仕事がものすごく環境に負荷をかけていることに気付いた。
ガソリン・経由の販売、タイヤの販売、大量に水と洗剤を使う洗車、、。
すこしでも何か出来ることを、と
スタンドで空き缶やペットボトルの回収を始めたら、
ものはついでにという人が結構多く、客が1割増えた。


引き続き環境について考えているときに、
てんぷら油からバイオディーゼル燃料が作れることを知った。
でも一つ問題があった。回収の手間とコストだ。
でも、本業の配達(灯油とかの)のついでに、
お客さんに取っておいてもらった油を回収することで解消した。
お客さんはゴミを引き取ってくれるので、喜んで協力してくれた。


バイオディーゼルは価格が軽油よりリッター4円も高い。
環境に関心のありそうな企業に売り込んだ。
環境に優しいことをしているというステッカーも作った。
でもあまり環境にいいとは言わなかったという。
これで循環したら、面白いでしょ、と言った。
興味を示してくれる人が出てきた。


今では、従業員2,500人の家電メーカー工場の大食堂から出るてんぷら油を、
その工場のトラックの燃料に利用したり、
宅配業者のトラックに利用したりしている。
宅配業者(ヤマト運輸だった)のトラックは1日3,000kmも走るので、
燃料の供給が間に合わなくなりそうだったけれど、
やっぱりここでも宅配の「ついで」に、
お客さん(あられ工場とか)のところで処分に困っている油をもらって
解決した。
しかも自分達で調達するということで、2円安くした。



関わる人、みんな別に「俺はいいことをしているんだ」っていう感じではなく、
淡々と、地域の中で資源が循環していくことを楽しんでいるようだったのが印象に残った。
誰かに特別に負荷がかかっていることじゃない。
みんなついでに、ちょっとだけ手間と気をかけてやっている。


いいなあ。



昔から、解決する人よりもっと、予防する人を讃えようと
(そのほうが重要なのに日が当たらないから)
努めてはきたけれども、
結局のところ、全て等価だったのかもしれない。


先頭でも、真ん中でも、最後でも、
それぞれに大切な役割だ。

ただ、どこに居ても、自分が循環の中にいると自覚することが大切なのかもしれない。
奉仕しっぱなしでもなければ、受け取りっぱなしでもない。
それが、地に足をつけて生きているということだ。


過去を感謝して引継ぎ、未来へ祈りを込めて受け渡す。
そういうのは、想像力と創造力がいる。
過去を無視したり、未来に目をつぶったりするのは、
簡単だけれども。


輪を無視すると、最後には自分が輪から追い出される。
追い出されるのが自分だったらまだいいけれど、
子供や孫達の世代だったら、いたたまれない。


別にいい人であろうって下心があるわけじゃない。
けど、単純に、
売るだけより、買うだけより、
循環しているのがどうーも楽しそうなのだ。



理由が分かった。
循環には、不安がない。
生産の枯渇に対する不安が。
供給の欠乏に対する不安が。


だからみんな喜んで与え、そして受け取る。
人間らしい顔をしている。


循環型社会、ってそういう言われ方をしてしまうと何か
心を素通りしていってしまうけれども、
ああ、楽しんで、余裕をもって人生を送るためには、
いつもよい循環の中に自分がいればいいんだなあと、
単純に理解できる、いい話だった。



・・ちょっと強引だけど、
web2.0で私が好きなのは、
それが新しい産業や製品の話なのではなく、
仕組みの話だからだ。


新しく何かを作るのではなくて、
既にあるものをどう組み合わせるか、
どう効率よく再利用、再生産するか、価値を大きく育てられるか、
そういう取り組みだからだ。
そして、その取り組みはどれも魅力的だ。


こんなcoolな仕組みが!!!と、
みんな目を輝かせている。
自分が貢献する喜びや、自分が受け取れるものの大きさに、ワクワクしている。



循環を作るひとは美しい。
循環を担うひとは美しい。


無駄がないというのは、美しい。