旧 はてブついでに覚書。

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『ウェブ人間論』感想(4)フローな世代から。

ウェブ人間論にかこつけてもはやあんまり関係ない。


”本は消えるのか?”という議論。
平野さんの、将来は、一応紙の本は依然としてあるけど、本という形にこだわる人以外はダウンロードして読むんじゃないか、という意見に対して、
梅田さんは、紙という材質は読みやすさ、一覧性、保存のしやすさ、書き込みのしやすさ、コストの安さ、そしてさらにコストダウンする可能性や業界の意向から考えて、紙の優位性は残り続ける、と言ってる。

この辺は今あるいろんなサービスと関連づけて二人で可能性を検討されてるので分かりやすかったです。



本といえば昨年末梅田さんのこれに驚いた。

(2) 「知的生活の方法」(渡部昇一著): 重要な本の置き場確保

 知的生活を送るには金がかかるものなのだな。働いて稼いでうんと資産を作らなくては、満足な知的生活を生涯送ることってできないんだな。

 七〇年代後半にベストセラーとなった渡部昇一『知的生活の方法』(講談社現代新書)が多くの人にどう受け止められたのかは知らないが、少なくとも高校生の私の心に焼きついたのは、そんな教訓であった。

 「知的生活とは絶えず本を買いつづける生活である。したがって知的生活の重要な部分は、本の置き場の確保ということに向かざるをえないのである。つまり空間との格闘になるのだ。そしてこの点における敗者は、知的生活における敗者になることに連なりかねないのである」

 蔵書を持ち続けることの重要性を説く渡部は、戦時中に蔵書をあっさり処分した著名な外国文学者を、本書の中で厳しく糾弾したりもしている。

 東京での生活を引き払ってシリコンバレーにやってきて十二年が過ぎた。高校生の頃から「知的生活を生涯続けること」を目標にしてきた私は、無意識のうちに「空間との格闘」を続け、知的生活を送るための「広い空間」を求めて、アメリカに来てしまったような気がする。毎年千冊ずつ増え続け、すでに一万五千冊を超えた蔵書を維持できる「広い空間」は、日本では求めても得られなかったからである。

My Life Between Silicon Valley and Japan - ぼろぼろになるまで読んだ四冊の本


私にはこの感覚がまったく理解できなかったからだ。


私にとって所有のコストほど私を圧迫するものはない。
物は出来るだけ持たず(パソコン内も)、フットワーク軽くしときたいなと思う。
本は、本棚の許容量を越えたら捨てる。
すごい大事な本数冊以外はあんまり愛着がない。
読み返す可能性のある本はとっておくけど、それでも2年くらい読み返さなかったら捨てる。
(ほんとはおのおのにマインドマップの一つでも作ってから捨てたいんだけど)
2年着なかったら捨てよう!要は服と一緒ってことかしらん。
あ、CDも捨てる。こっちは貧乏性のせいか、とりあえずパソコンに入れてから捨てる。
あ、捨てるというか、売ったりとかもするけど。


それこそ、そういう時代になるんでしょ?
ああどこだっけな確か○○の××って本に、こういういかしたフレーズがあった気がするんだけど、、
というようなことをさくっとウェブで検索して見つけたらば、
改めて買うなり借りるなりすればいいやって感じ。


あああの曲久しぶりに聴きたいなーと思ったら、
ハードディスク内検索するか、iTuneとかでぽちっとなすればいいしなあ。
(音楽に関してはライセンスさえ買えばいつでもどの媒体にもその認証によってダウンロード出来るようになって欲しいものです。なんじゃあの規格祭り。)
クラシックのCDは、さすがにダウンロード版となんか違う感じがするから、
今のところ取ってあるけど(コンポで聴きたいし)。


フローとストックっていう話もあるけど、
何だろう、せっかくこれだけソーシャルなんとかっていうサービスが出始めている時代だし、
一人ひとりが似たようなものストックしててもしょうがないじゃんとか思ったりもし。
世界のどこかにそれがあることがわかって、そこにアクセスできることが保障されていさえすれば、
私が(個人個人が)ストックしておく必要がない、って世界が理想かなあ。
省スペース、省エネでよくない?


まあ、一般的に男の人の方がコレクション熱が高いから、
その辺も関係あるのかもですね。
あと、私の場合はこの本の影響も大きいんだな。ふむ。
ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門 (小学館文庫)


あ、そういえば、逆に自分が作ったり書いたものはどっかに蓄積しておきたいなあ。
こういうブログもそうなんだけど。
10年後見返すと面白そう。
というか、私しか私が書いたもの収集する人いないしね。私がしてあげないと。
というだけか。
有名なものはいいんです。誰かが持っててくれれば。そして必要なときに接せれば。


ところでうちの親は戦後すぐ生まれなので、
私が物をさくさく捨てようとするとすごく嫌がります。
物全体に対する執着度合いは、良くも悪くも世代的なものかも。
食べ物にはもっと執着したほうがいいよな今の日本人。



ああなんか流れが適当になった。



ぐだぐだついでに。
紙という材質の優位性についても、どうなんだろう。
ウェブネイティブの子たちは情報の摂取方法自体変わってくるだろうし。
あと、紙っぽいディスプレイもがんばって開発してるのよね?
だから、今みたいなごついビューワーじゃなくて、ほんとに本みたいな感じに読める電子機器が出たら、それでいいかなって気もする。
もちろんそれ単体でネットにハイスピードで繋げて、コンテンツをダウンロードする。
雑誌の定期購読とかさ。面白いよね。毎月月末の夜に勝手にダウンロードが始まって、
んで、次の朝通勤電車の中で読む。気になった記事は簡単に切り取ってクリップ!


あと関係ないけど、電子書籍って何で普通の本バージョンと同じ値段するんすかね。意味わかんない。
どういった経済の仕組みなんでしょうか。教えてえらい人。



えっと、最後に。
アメリカでは、Net Neutratlity(ネットの中立性)をめぐって議論が・・まだ続いてるのだよね。プロバイダ何社かは、金を払ったウェブサイトに対しての接続速度を優遇するみたいな話出てたりとかしてるんだよねぇ。ああそういうやり方もありか・・って感心しちゃいけないか。今どのへんなんだろう。アメリカのサイトいくつか見たんだけど・・挫折(涙)。


私の夢見るウェブ世界も、ありがたいインフラがあってこそです。
潰れちゃこまるんだけどだからって仕切られても困る。
アメリカがやるとすぐ日本も倣っちゃうしなあ。
よくわかんないけどがんばれSave the Internet。そっちで止めといて!
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