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過去への権利主張?

森進一(59)が代表曲「おふくろさん」に勝手にセリフを入れたとして作詞家の川内康範氏(86)ともめている問題

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070221-00000018-spn-ent


というのがあるそうだ。お疲れさまです。
作詞家と歌手が師弟関係になるというのは演歌の性質なのかそれとも古き良き時代のシステムの名残なのか。
演歌の世界が分からない私としては、
たかだか歌謡曲(それも大昔の)一曲どれだけ大切にしてるんだよもういいじゃん
とか思ってしまうのだけれど、
どっちかというとクラシック音楽に対するような長いスパンのリスペクトを持った方がいいのかしら演歌って(あ、どっちかというとジャズやシャンソンか)。


しかしそれにしたって、
一曲は作詞家が居て作曲家が居て歌い手が居てレコード会社が居て宣伝する人がいてetc.という経済活動の中で作られてるんだから、
誰か1人が強権をふるって歌うの歌わせないのを左右できる話ではない気がする。
その昔、作詞家が「先生」と呼ばれていた頃の古き良き時代の価値観なのかなあ。



作者の思い入れを大事にといえば、著作権の保護を70年にと主張している松本零士さん。

 「著作権で保護されることが、家族や子孫がある自分自身の精神的な安らぎにもなり、創作意欲にもつながる。ある有名な作家のご遺族から、『私のところの著作権はもうすぐ切れます』と涙ぐまれたことがある。それが、いずれ自分の子孫にも訪れると思うと、どれほど切ないか。せめてあと20年。あの手塚治虫さんの権利すら、あと30年ほどで切れてしまう。とりわけ先進国では70年が増えてきている。しかも、次第に伸びる傾向にある。最終的には120年くらいになるかもしれない。少なくとも伸ばされることはあれ、短くなることはないでしょう」

産経ニュース


これを最初に読んだときに、家族や子孫は関係ないでしょーなんだこの強引な権利主張は。
としか思えなかったんだけど、
まああれだよね、この件に関してはちょっとだけ同情する。
普通の仕事と違って、制作したものへの対価が次の月に全額まとめて振り込まれます、ってものじゃないものね。
えらいロングテールになっちゃって、何年にも渡ってちょっとずつ印税が入るような場合、
権利期間を長く設定しておいてもらわないと割に合わない。
発表当初は全く売れずに20年後くらいに突如ヒット、とかいうこともあり得るだろうし。
でもやっぱり家族や子孫について、アーティストだけ守られる必然性は分からないけどね(笑)。あと50年と70年も大した違(略。



この話の流れで、演歌の作詞家の価値観の一端が伺える場所があった。

あにきもおやじ似で 無口なふたりが/たまには酒でも 飲んでるだろか

 演歌の名曲「北国の春」の一節だ。

 作詩した、いではくさんは、小学1年で父を亡くし、母とひとまわり上の兄に育てられた。故郷の父親をしのぶ情景は、いでさん自身の夢を描いたものだ。「もし死んでなけりゃ、いろり端で父と兄が酒酌み交わしたんじゃないかな」

 著作権が切れると、詩を改竄(かいざん)されたり、意に反した形で使用されかねない。いでさんが「未来永劫(えいごう)、著作権を守ってほしいくらいだ」と訴えるのは、作品に人生を投影しているからだ。

 著作権の保護期間を50年から70年に延長するかどうかについても当然、賛成の立場をとる。

 「権利者が『50年で十分』というならわかるが、そういう声は作品を使用する側からがほとんど。使う側に都合よく言われたくないという思いもあります。議論の本質は、利便性ではなく、創作物の価値をどうみるかではないでしょうか」

産経ニュース


なるほど。作品がいつまでも「自分のもの」なのだ。未来永劫侵害してほしくないのだ。



うーん。
ちょっとよくわかんないな。この価値観。
もちろん盗作は不可だけど、
みんながオリジナル作者の認識さえしてリスペクトしてくれれば、
むしろ自由に素材として使ってくれくらいに言ってくれたらかっこいい気がする。




関係ないけどさ、仕事で似たような人がいたのを思い出した。
「わしが今まで苦労して育てて来たんじゃ!わしのもんじゃ!」とかいって
若い人達の改変や提案を拒んじゃったりする人。
いわゆる老害
この人も仕事に「人生を投影」して来たんだとおもう。
投影するのは勝手だけど、ついでに未来へ向けての発展性の芽を摘むのはやめてくれ、
と大変迷惑であった。
全力でお引き取り願ったけど。
まあ、こういう人と作詞家や漫画家を一緒にしちゃいけないとは思うけど、
でも、価値観の構造としては同じな気がする。



なんだろうなあこの価値観の差。
分かるようで、分からない。
自分が創作をする側の立場になったら、どうなんだろうか。
やっぱり、そんなにまでして死後の権利を主張するよりは、
がんがん改変してもらって、誰かに蘊蓄めいてたまに「この作品のオリジナルは誰々で」とか
言ってもらえばいいって感じするなあ。



たぶん、年功序列が崩壊して、年金制度も崩壊して、
今報われなくても頑張れば将来は保証されるのだという期待を一切持つことのない
世代の価値観なんでしょうね。私の方が。
たとえば今、年金を払ってるけどさ、寄付だよね。あれ(税金か?)。
今払えば将来安泰なんて、思ってる人誰もいない(というのにつけ込んで政府が本当にしらばっくれても怒りますが。まあ可能性は無くはないのも覚悟せねばなるまい)。


頑張って”下積み”して、アーティストの人達と同じように入魂しようが、
クビになるときはクビになる。
過去が未来の保証などしないのだ。
未来から過去に保証を求めても報われるわけじゃなし。



でも、それでいいような気がする。
過去というのは、自分じゃない。
そこにアイデンティティはない。
たぶん。


うまく言えないけど、過去からなにか報酬がきたら儲けもん、過去からぼた餅、
くらいに思って、その辺は適度に手放して、
がしがし今を、そして未来を創っていくしかない気がする。
少なくとも、私たちの世代は。


願わくばだけど、
創造しつづけていく、その姿そのもので人は対価を得られるのでしょう。きっとそのうちね。
その代わり過去はシェアですよ。人類で。ってね。