旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

虚構感。

よく、田舎に突然、ゴシック建築・・・系?みたいな結婚式場が
お前今まで田んぼだったやん、みたいな場所に、出来てたりして、
出来たら出来たで近所のみんなで利用して
なんだかなあ、ということはあるんだけど、


小さい頃はその文脈の飛びっぷりに?マークがたくさん付いていた私も
社会にだんだん慣れてきて、今では普通に
どんなにテーマパークっぽくても、ハリボテ(失礼)っぽくても、
せめて神父さんがバイト(@本職英会話講師)じゃなきゃいいや、
いやこの際バイトでもいいや。要は本人達のハートよね。
と、結構盛り上がり優先の頭のつくりになった。


基本的に、野暮なことは言わず、
今そこにある盛り上がりを優先に生きていきたいのだけど、
頭の方が、万事この調子で鈍いため、
本当に順応するまでにはちょっと時間がかかる。


たとえば、ここ数年雑誌で主流になっている
お嬢様服、セレブ服、みたいなのは
どっかから借りてきたコスプレの類だとずっと思っていた。
モデルさんたちはその顔とスタイルでどうにか着てしまっているが、
どう考えてもどっかの違う時代&違う国から借りてきたでしょ、
日常でそれ着ないでしょ、
とか思っていた、


ら、定着していた。普通に。女子達に。
あわわ。
着てるよみんな。着て街歩いてるよ。かわいいじゃん。


もちろん日常的に私も、大喜びで、
こじゃれたところで、こじゃれたものを食べて、こじゃれたお買い物をするんだけど、
ただ、私自身の頭はどうも昔で止まってる気がする。
バブルの前というか。子供の頃で。
そこから先はなんだか虚構感がある。
建物も、レストランもお店も、売っているものも、
それっぽいものが街にたくさんあるんだけど、
ほんとうの”それ”はないよね、みたいな。


なんていうんだろう、思想のないものが多いのか?
ん?ないのは思想じゃなくて文化か?


よくわかんないんだけど。
じゃあ何が虚構じゃないんだといわれるとまたわかんないんだけど。



さっき、ニュース23で市川團十郎、海老蔵さん親子@パリのオペラ座歌舞伎公演
特集をしていたけれど、
あの伝統あるオペラ座館内の図書館で筑紫哲也さんのインタビューに答える團十郎さんが、
当たり前なんだけどまったく萎縮せずに、自然体で話をされていたのをみて、
普通にうらやましかった。
フランスの芸術の本丸に乗り込んでいっても堂々と向こうを張れる、
日本の伝統をきちんと継承している人たちだもんな。
地に足の着いた日本人アイデンティティを持っている数少ない人たちだ。


ただ、それが私にとっても虚構じゃないかというと話は別で、
京にも江戸にも住んでおらず、相撲も能も歌舞伎も落語も観ず(落語はちょっと聴くけど)、
柔道も合気道もせず、俳句も短歌も川柳もお茶もお花も着付けもやらない私としては、
日本の伝統芸能といっても、
”セレブ服”と同じくらいのコスプレ度なんだよな。。。



よく聴く音楽だってクラシックとhiphopだ。でも、ただ耳なじみがいいから聴いてるだけで、
あちら(西洋)のスピリットみたいなのを理解して聴いてるわけじゃ全然ない。
かといて演歌スピリットはもっとわかんない。



そういえば大学の1年生だったかなあ、国語の授業の教材が

にほんご (福音館の単行本)

にほんご (福音館の単行本)

だった。
なるほど有難い、と思ったのを覚えてる。


日本語ブームみたいなのありましたよね、最近。
大人がなぜかみんなこぞって日本を”学ぶ”の。


気持ちが分かる。
先に虚構があって、その後日本にたどり着く感じ。
しょうがないのよ。それが触れる順番だったんだから。


楽しいけどね。
ただ、今の私達も、これからの子供達も、
虚構感の中で気づかずに一生を過ごしてしまうようなのは
どうにかして避けたい。
ように思う。


それっぽさの中で一生が終わることが出来てしまうので今の日本は。
それを避けたい。


ぼんやりした話だなあ。うう。