旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

共感という「情報」

ここ数日なくなってたテレビのリモコンが見つかったのでfeecleで見つかったーって言ったらよかったねって言ってもらった。えへ。


こういう取るに足らないやりとりまでウェブで出来るようになったんだねぇ。感慨。
mixiもそういう感じだけど、feecleの方は通りがかりの人が通りがかりついでに声をかけてくれる感じが昔の近所付き合いっぽい(笑)。)



ウェブは今、情報があふれかえっていて、玉石混合で、価値ある情報と価値のない情報をフィルタにかけなきゃって、ことになってる。


そういう意味では、こういう、「おはよう」「おはよう」っていうのはウェブ上には要らない情報なのかもしれない。リアルでやりゃあいいじゃんっていう。


いやま、そりゃリアルでもやるよ、リアルでもやるけどさ。
でもこういうの好きだなあこういうなにげないやり取りがウェブでも出来るの。
価値有る情報載せなきゃ!っていうんじゃないウェブ。



共感ってさ、実は人間にとってはすごい重要度の高い「情報」だと思うよ。
だってそれで生産性が10倍になったりするでしょ。モチベーション上がって。
どんなに有益な「情報」が手に入ったってせいぜい2倍くらいにしかならないところをさ。


嬉しいときに共感されるとよけい嬉しくなるし、悲しい時に共感されると少し癒されるし、落ち込んだときに共感されると少し元気になる。
逆もある。
怒ったときに共感されると少し鎮まるし、むかついたときに共感されると逆に反省したりもする(笑)。


共感のパワーは結構すごい。
女はみんな知っている(私は最近気づいたw)。



個人的に、昔からそういう、日記のような、情報情報してない情報が好きだったってのはある。
おいしい夕飯を食べたとか、花見が盛り上がったとか、虹がきれいだったとか、そいう、平和なこと。
全然知らないどこかの人の、嬉しかったことや楽しかったこと。時に、悲しかったこと。


日本はアメリカのブログに比べてそいういう「取るに足らない」情報が多すぎる、って、否定的に見られることが多いけれど、
そうかなあ。
どっちの情報が、今同時代で見ている人に元気を与え、そして100年後に民族史として価値を持つのかってちょっと思うよ。


追記
そういえばクローズドなSNSのログって社会学民俗学や心理学的に結構貴重な資料になると思うけど個人情報保護的に絶対使ったりできないよね。
そういう意味ではオープンなSNSや普通のブログ&ミニブログ系はいい「情報」になるかも。