旧 はてブついでに覚書。

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コミュニケーションって、おもてなしでしょ?

コミュニケーションって、基本的に、相手さえ良ければいいと思っていて、
そういう考えで10年くらい過ごしているけれど、個人的には全然支障がない。
今のところ、自分にストレスもフラストレーションもないし、嫌いな人っていない。


ところでさ、人ってみんな、「本当の自分を分かって欲しい」とか思っていながら、
他人に求めているのは「自分がこう見て欲しいと思うように見て欲しい」ってことだよね。
自分でも直視できないような思いっきりベタな自分を発掘されたいわけじゃないでしょ。
その証拠に、本当のことを言われるとみんな怒る(私も怒る)。


こう見て欲しいように他人に見られると元気になる。私は。
特に、「ほんとはこうなんだよね」って、ほんとはこうなんだよねって言って欲しいなって思ってること言われると(笑)。
だから、私も他人の志向に沿って他人を見る。


ていうか大抵、「自分ってほんとはこうなの・・・」と自分が真剣に考えているようなことも、
本当じゃないんだよな。多分。
自分がメタ認知しちゃった時点でちょっと虚構入っちゃうんだろうね。
でもそのくらい(自分でも自分のことを誤解しているくらい)の方がちょうどいいというか。
どこまでも本音で痛々しく切り込んでいくことが、善ではないし、また、誠実なわけでもないです。


結構、”こう思われたい”とその人が思っていることこそが本当のその人ってことない?
(思いっきり勘違いしている人は置いておいて、普通に誠実な人は)
その人の本当はその人の理想にあるというか。
その人の、たとえばほんとはもう少しずるい心を持っているとかいう”現実”は、
本人が自覚していればいいことであって、
本人がそうじゃなくなりたいと思っているのなら、誠実な人間だと思われたいと思っているのなら、
周りの人はそれを否定しないで、そっちをたくさん支持してあげたほうがいいんじゃないかな。
そうすると本人も本当にそうなる気がする。


まあ、他人に理解なんてされるためには、なんぼ言葉を繰り出すよりも、
他人にきっちり笑顔を向けて、最初に自分が他人を理解しようと努めるっていう、
”行動”以外には道はないわけで、
そういう意味でも、まずは心を込めたおもてなしかなと思う*1

*1:あ、”心を込めた”って言うからには、マニュアル通りの旅館みたいなのじゃなくて、叱責もすればガチで罵倒もするっていうやつですよ。