文化の地域格差は人の格差か?

インターネットのコミュニティ、特にここ1,2年はTwitterを見ていると、
東京に移住する人が多いように思う。
逆は、(転勤や結婚を除いては)あんま見ない。


インターネットは情報の地域格差を解消したか、といえば
テキストや動画のコンテンツという意味では解消したと思う。
昔は田舎に回線も来てなくてそういう意味での格差はあったけれど、大体今はADSLまでは通ってるし。
ネット上に乗っけられないコンテンツ、たとえば単館上映の映画、ミュージシャンや楽団のコンサートツアー、キー局のニッチ寄りテレビプログラム、服だの雑貨だの本だの、というものについては
解消されたとは言わないが、
ある程度の人口がないと集客なんぞ到底見込めないものを地方でやっても売ってもしょうがないので、ここはまあどうにかするところではない気もする。
買い物については通販も充実してきたしね。


インターネットが普及して、私たちはこれで「世界中どこにいても」同じ情報にアクセスできる!と喜んだ。
じゃあネットの普及は人、特に若者の「上京したい」気持ちを拡散させたかというと、
私は助長せたと思う。
何のことはない、一番面白いコンテンツは「人」だからである。


Twitterではリアルタイムに他人のWhat are you doing? が更新されている。
Twitterって何が面白いの?っていう人がいるけど、人が面白いんだよ。
他人のWhat are you doing?の多様性の素晴らしさと言ったら!
で、その多様な人たちが言う。
どこどこでだれとだれが集まった、どんなイベントに行った、どんなショップに行った・・


大体気軽に集まっているのは東京である。
それは当然で、どのネットコミュニティも使っているのは東京の人間が一番多い。
ちょっと昔(2008年11月)の記事だけど、

ミクシィ代表取締役社長の笠原健治氏は、「mixiの会員数は1500万を超える国内最大規模のSNSへと成長し、コミュニケーションのインフラにまで成長している」とした一方で、「mixiの主要ユーザーは大都市圏の20代から30代が中心であり、地方のユーザーや35歳以上にはまだまだ浸透していないのでは」とコメント。「35〜39歳のユーザーは世代の15%程度しかユーザーがおらず、mixiに入りたくても入れないという問い合わせもいただいている」と付け加え、今回の施策によってより多くのユーザーがmixiを利用できるようになるとした。

 招待制の廃止については、「招待制を続けてきた理由は、誰かに誘われて入会したほうがスムーズにmixiを楽しめ、招待者を起点として他の友人や知人とつながれるというメリットがあった」とした一方で、「招待制のデメリットとして、地方や35歳以上のユーザーなど、mixiの中心とは離れたコミュニティには飛び火しなかった」と説明。

日本最大のコミュニティですらこれ。
田舎にいるとmixiの招待状なんてすごい遅さでやってきたけど、東京なんてすぐだよね。
Twitterは別に招待制じゃないけど、でもネットサービスですらリアルの友人から話を聞いてやる場合が多い。特にキャズムを超える(一般に広く知られる)前は。


私は結婚で東京に越してきたけれど、それまでは信州にいた。
田舎でネットコミュニティを使いながら都会の人のフットワークを追っているとね、
行った先のね、レストランやイベントやコンサートや、そういうもの自体もうらやましいといえばうらやましいんだけど、
それより何より一番うらやましいのは、人と人とが会ってることなのよ。
気の合いそうな、面白そうな人と人とが!
あーどうしてそこに私は気軽に居ないんだろうなと。
そしてその「密度」で人が集まるのは自分の場所では無理だなと。
実感するですよ。


インターネット以前だって人と人とはこうやって会っていた。
文化の発信は大体中央からで、
面白いものはなんでも中央からやってきた。
それはこうやって人と人とが会って作っていたんだなあと。
それを田舎の人間がリアルタイムで見れるようになっちゃったのね。
知っちゃったのね。


んでイライラして上京してしまう(笑)。



東京に来て半年経った。
私の場合は元がインターネット引き籠り系なので実は信州にいたころとあまり生活が変わらない。
服も雑貨も長野にある量で充分だった。人と違ったり凝ったりする方に興味がないのでマスでいい。
本は信州でもネットで買ってたしね・・。
深夜のテレビアニメを見るわけでもなく、単館上映の映画も見ない。
演劇やコンサートももともとほとんど行かないのでそれも別にいい。
あ、プロオケのコンサートが多いのはありがたいなそういえば・・
ただそれは気軽に温泉に行けなくなった(本当に残念)のとバーターかなあ。


ただ、人とは圧倒的に会い易くなった。
信州の人とは会いづらくなっちゃったけど、
その10倍くらいの人数と会い易くなった。
初対面の人ともたくさん会うようになった。
人が人を連れてくる。



東京は、住むには結構微妙なところだと思う。
夏は異様に湿度が高いし、冬は信州よりずっと風が乾燥していて、そして冷たい。
空気がすごく悪くて(対信州比)、正直よくここで洗濯物とか干してるよなあと思う。
車でサクッと行ける高原も温泉もないし、野菜はなんか小さい。
ただ、人がいるから、多様な人がいるから、そこから面白いものがどんどん生まれている。
これだけ人口がいるから、ニッチな文化でもちゃんと存続している。
そういうのがそこかしこに転がっている。
そこは、田舎にはないものだと思う。


でも私は、「文化」を語る人のほとんどが”中央”に住んでいるのが、
気に食わない。


東京に来たから余計思う。
東京からの視点しか持っていないのに文化を語れる気になってる。
いや、語れるのだ。地方に「啓蒙」するだけなんだから、やることは。

平田 あれは、本当にいろんな意味で象徴的な事件で。会津若松ですよね。あのぐらいのレベルの地方都市の子が一番息苦しくて。

要するに東京辺りだと、今、東大に行くのも、そんなに大変じゃないんですね、昔に比べると。だから、東京の受験校っていうのは、結構、変な授業もたくさんやっていて、例えば、うちは駒場なんで、筑波大附属駒場の先生と共同して、すごく変な授業をいろいろ出しているんです。ある年は、中学3年生に、夏休みに永山則夫の小説を3冊読ませて、後期全部かけて、永山則夫の評伝劇を作るっていう、これを国語の授業でやったんです。

佐々木
 すごくいいですね。

平田 ちゃんと作るんですよ、中学3年生、14歳が。それは、筑波大附属駒場だからできるということもあるんですけど。

佐々木 今、言おうとしました(笑)。

平田 でも、そういう話を、この間も東大の先生としていたら、東大の先生も、「うん。本当に、例えば女子でも、御三家から来る子達っていうのは、結構遊んでから来るんだよね」って言っていて、この地域間格差が、今、すごく問題になっているんです。東大でも京大でも阪大でも問題になっている。

平田 そういうおもしろい授業をたくさん受けて大学に来る子達。例えばミュージカルを観たり、美術展を観たり、海外に留学していたり、親の趣味もあるけれども、いろんな豊かな教育を受けて東大に来る子達と、単位未履修で世界史も知らないで、とにかく受験の科目しか勉強してこないで、脇目も振らずに東大に来た子達、特に女子の場合に、やっぱり文字通りのカルチャーショックを受けて、不登校になっちゃう子もいるんです。

要するに、教育の地域間格差は解消したんだけれども、文化の格差がものすごいから、その地域間格差が、今、大学生達を苦しめているんですね。

佐々木 でも、子どもが自分で「やっぱりミュージカルを観なくちゃ」とか、なかなか思えないから、親というか、家庭環境がものすごく大切だということですね。でも、それこそ格差というか、どう子どもを育てるか、どのくらい重層的な、多角的な生活をするかっていう親の生活価値に関係してくる。

平田 それから、やっぱり家庭に余裕がないと、できないから、やはり本当に公的な支援がないと。教育再生会議が「親学」とかいって、「テレビを見せないで、演劇を観に行け」とか言いましたが、それはありがたいけど、観に行かせられる家は、もう観に行かせているんですよ。

で、この文化格差の方が本当は深刻で、これからどんどん第3次産業中心の、生活者中心の社会になっていきますから、そういう感性とかが、本当に生涯賃金を決める時代になるんですよね。

そうすると、子どものうちに、そういうのに行かせられる家庭と、行かせられない家庭で、格差がさらに広がる。今でさえ家庭の収入と子どもの学力の相関関係って問題になっているでしょ? でも、たぶん文化的なものって、もっとなんですよね。だから、本当に公的な支援をきちんとしないと、そこで、ものすごい格差社会になっちゃうんです。

こういうことはね、確かに存在する。文化格差。
でもそういうハイソサエティな方の文化格差って、たとえば政府で埋めないといけないレベルじゃない。
どこに住んでたって親の文化度にある程度の年までは子供の文化度が依存してしまう。
でもそれこそインターネットの時代。
子供が勝手に興味を見つけて、どんどん摂取すればいい。生ものはなかなか見れないかもしれないけど、
その代わりに都会にいれば現代「消費」に使ってしまう時間を利用して、
豊穣な古典の世界に身を投じていれば、18歳になった時に都会の子なんかより圧倒的な教養を持てる。

たとえばロンドンから郊外に出ると、建物がまったくなくなり、田園風景が広がります。これはゾーニングによって都市の境界を決めているからです。ところが日本では、東京からどこまで郊外に行っても、切れ目なく住宅が続きます。これは大規模な戦争を経験しなかったため、城壁としての都市がなく、農村の田畑の上にそのまま家が建ち、スプロール的に都市化したからです。このため薄く広くインフラが必要になり、公共投資の効率が悪い。高速道路や新幹線や光ファイバーを津々浦々まで引く必要はないし、財政的にも不可能です。

比較優位から考えても、農業や在来型製造業から知識集約的な都市型の産業に労働人口が移るのは当たり前で、成長率を高める上でも、知的労働者を都市に集中しないと国際的な都市間競争には勝てません。過疎化した市町村は合併し、行政サービスは道州のような大きな単位に集約したほうがいい。

田舎の老人たちが、自分たちが慣れ親しんだ場所を捨てたくないの一点張りで、
過疎地域まで中央と同等のインフラを要求するのは、田舎に住んでいた私も違うと思っていた。
もしせめて田舎の中央と同等のサービスを受けたいと思ったら、
受けるほうだって少しは集まって暮らさないと税金がかかってしょうがない。
素晴らしい自然と現代的な生活、すべてを同時に手に入れることはできない。



地方は町おこしとか箱ものとか頑張ってるけど、
お客さんをリピーターにしたり、
その地域に人が引っ越してくる原動力にはなかなかなっていない。
まず第一に、都会と同じもの(ただしすごい小規模)を並べてもしょうがない。
次に、食や自然はコンテンツとして優秀だけれど、それのマニアでもなければ、1回の消費で終わってしまう。
その地域特有の伝統とか特産とかは、、まあそれよりも東京のコンテンツが面白かったりするよね。
そしてあそこは人が面白い、という話はなかなか聞かない。



人はこれからも”中央”に、都市に集まり続ける。
それはそうやって集約してコンテンツを生み出す特性上しょうがない。
じゃあ田舎はつまんない人しかいないのか。
そんなことは全くない。
ただ、拡散して暮らしているので集まりにくい。
今のところは。


どうにか、もう少し、もう少し人が集合しないかな地方。
コンテンツを生み出せるくらいに。
文化の発信地になれるくらいに。
方法はまだ思い付かないんだけどね。
でもネットが東京の「繋がり」を可視化したように、
今度は地方が東京に面白い繋がりを伝えていけるような、そういうフェーズが来るんじゃないか、
作れるんじゃないかと思っている。


「日本より頭の中のほうが広いでしょう」(by『三四郎』←読んでない)
中央なんて無視して世界に向けて英語で発信したっていいしね。