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家族と帰属

70代前後の世代の話を聞くと、奥さんは家のことは何でも知っているんだけれど、対して旦那さんは冷蔵庫の中の調味料や食器の場所はもとより、
家の中の家事の段取りからゴミ捨てのスケジュールに至るまで何も把握していないしする気もない、という完全分業の夫婦がわりとある。
別に旦那さんが亭主関白というわけではなくて、細かく命令されると頑張ってやってくれるんだけど、自分が家計を運営するという当事者意識はないので、
家計の段取りをする側には永遠に回らない。


このポジションなにかに似てるな―と考えて思い出した。
子供と一緒だ。


家族が自分の都合を聞くことはあっても、自分が家族の都合を聞くことはない(遊びに行きたいとか車使いたいとかそういう自分の為以外で)ポジション。
自分の予定が家族に影響しないから、遊びに行こうが旅行に行こうが友達とご飯食べに行こうが自由で、家には居たいときはいくらでもいて、居たくないときはずっと居なくても構わない。
家は、自分が帰属する場所、帰る場所であって、自分が全力コミットで運営する場所ではない。それは誰か他の人の職分で、自分は所々、都合のいいときに手伝うだけ。
でも家族である権利と恩恵は享受する。そんな立場。


人の人生の中で、家族に帰属するだけじゃなくて運営をする側になるポイントってどこだろう、と考えたとき、まあとりあえずは結婚、だろうと思う。
ただ、人数2人の家族って、結局相手がどうするかと自分がどうするかだけの問題だから、ぶっちゃけお互い好きにしてたって別に支障はない。
となるとやはり、子供が出来てからだろう。
もしくは親と住んで、かつ、運営のメインの世代が自分達側である場合。介護フェーズとか。
まあ別に血の繋がりは関係ないので、どういう構成でもいいんだけど、とにかく3人以上で共同生活をするというシーン。


で、家族の運営側になると何が制限されるって、自分の都合だけで動けない。
3食誰かに食わすとか、家を快適に保つとか、そういった他人の生活を支える側になるので、
今日夜中まで遊びに出ちゃおうーとか、まあいいか1週間くらい掃除しなくても、とかが難しい。
休業するとキレられるコンビニみたいに、回っているのが当然なのが家計なので。


で、冒頭の上の世代。奥さんは家族の運営側、旦那さんは帰属側。
二人で運営の当事者を担っても良さそうなものなのに、綺麗に分業している。旦那さんが定年してそちらの「業」が終わっても、奥さんだけがずっと。
大変だなあと思うけど、ここは自分達の世代の話ではないので好きにすればいい、というか個人的にどうでもいい。


気になるのは自分達の世代。
女性はね(嫁に行って義母にご飯作ってもらってる私みたいなクズを除いて)、社会的要請が元々あるから、すんなりと当事者になりやすい。
子供が出来ようもんならどうしたって子育てのメインを担うし(同じスペックなら男が働いた方が給料がいいことが多いのでこの国)。
ただ、男性ね。これ2種類いるんだなあと思った。


子育て中の友人(女)が先日言っていた。仕事が大変なのは分かるけれど、旦那さんが自分の都合だけで予定が決められる(と思っている)のが羨ましいって。
その話を聞いたとき、私は何で相談しないんだこの子の旦那め、と憤ったんだけど。
やっと分かった。その旦那さん、帰属の意識なんだ。上の世代の人のように。


自分が帰属していた家族の意識のまま、「母さん、俺今日外で飯食ってくるわ」って言うだけでよかった家族の意識のまま、当事者意識もなく「自分の家族」を「持って」いる。
他人の予定を気にして、他人の予定に合わせて自分の予定を決めるのは奥さん(=お母さん)の側だけ。
意地悪でそうしてるんじゃなくて、自分がずっと家族に対してそういうあり方をしてきたのを、素直に踏襲している。
もしくは父親がそう振る舞ってきたのを疑うこともなく真似している。
家の運営は奥さんに「相談される」案件であって、自分は当事者じゃない。
だから自分の予定は、自分だけで決める。好きに遊んでいた、高校生や大学生の頃のように。
たとえば奥さんがここ数日具合が悪そうで洗濯物がたまっていても、家の運営の進捗を見張る視点がないから、具体的に頼まれない限り、じゃあ自分が洗濯しよう、という考えが浮かばない。


これなー。せっかく大人二人いるんだから、もったいないのね。
家族の運営、一人でやってたらその人が倒れたらなにも回らなくなってしまう。
二人ともいるのなら、二人とも当事者でいいのにね。
大人が三人いれば三人が当事者でいればいいし、四人いれば四人。
その方がお互いが楽だし安心だし任せられるし、格好いい。チーム家族って感じ。


大人の定義って、社会の当事者である(社会の運営の側であると自覚している)ことだと思っているんだけど、そのあり方の最小単位が、家計の当事者なのかもな。
まずは自分の家族で、運営側に回ってみる。
上の世代がナチュラルに分業していたせいで我々があまり習う機会がなかったけども、こういう教育ってこれからは意外と大事かもしれないと思った。
帰属するだけだった「家族」と、きっと違う世界が見えるし、どうせコミットするなら運営の方が楽しい(楽じゃないけど楽しい)ってことも、味わえる気がする。