自分を論理的だと信じている人達(苦手な女性の共通点)、、
自分は女なんだけど、メンタリティがちょっと男寄りなせいか、
どうもやりづらい女の人の種類というのがある。
初対面でも、話す前から分かる。
顔つきやエネルギー(というかオーラというか)がもう。。
という人達の共通点が今やっと分かった。
奴ら、自分の感情(快・不快)を論理にすりかえやがる。
(しかも断定調・・)
感情でしか物を考えていないのに、
物言いがさも論理的なのだ。
e.g.「〜は〜として、〜じゃなきゃいけないわよ。」
(訳:私に便宜図んなさいよ。)
んでちょっとでも誰かが論理的に反論すると途端に不快感満載の顔をするのだ。
e.g.「そういう問題じゃないでしょ。」
(訳:あたしに恥かかせようっていうの?)
しかも彼女たちは、他の並みいるどんな女より自分が優秀だと信じているので、
最初から他の普通の女性を下に見ている・・・。
・・苦手です。ていうかいつもやられますorz、、、。
自分のお節介や自己中を常識や論理にすり替える才能は評価に値するけど、
あれどうにかならんかなあ。
つうかそれなら正直に「私はこれが嫌なの!」とか
感情でものをしゃべってくれた方がありがたいんだが、、。
うすら愛想笑いで頑張って攻撃をかわす日々です。
※追記:6/6
すみません愚痴だったのですが、「論理的」って部分で以外と反響をもらってげだったので
(http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060603さん、http://d.hatena.ne.jp/tot-main/20060606さんTBもありがたうございます)
こちらで補足を。。
子供っぽい理由で不快感を感じていたり、自分が優位に立っていたい、尊敬されたい心がある場合、
それをどう扱うかなんですよね。
普通大人になる段階で、自分の心の狭さや幼稚さに気付いてばからしいなあ、ってスルーできるようになるんだけど、
環境が原因なのか、そうはならない人達もいます。
そういう人達には2種類あって、
片方はそのまま子供っぽいまま。私の分が少ない!とか誰々さんより私の方がないがしろにされている!とかうるさいけど、思ったことそのままなので私はわりと好きです。
もう片方はこのエントリに書いた「論理的」な人達。感情は据え置きなのに(本当はI want なはずなのに)、正当化するために物語を作る(We should や We must, You should や You must, It should be や It must beに)。
私はそれに気づきにくいのでやられるのでありますTT。。。
論理的・・たしかに曖昧な言葉ですね。もう少しちゃんと定義すると、誰にとっても(というかその場にとって最良であるという)論理的妥当性があるか、それとも(自分にいい方に持っていきたい為に練り上げた)屁理屈なのか、
ってことかなあ。
まあ、そういう私もたまに使いはするんですけどね。
自分が一番多いの取りたいけど力の構成で無理そうな場合に最低限を確保するために「平等に分けようよ」と言ってみたり、
ただ困らせるだけの目的で、比べる物の次元が違うので永遠に答えられない問い「仕事と私とどっちが大事なの」を発射してみたり(ってこれはやらないか)。
でもまあ自覚してやるなら、マシですよね、、、と思ってみる、、、(笑)。
あ、日本政府なんかいつもそうか。
なかなか勉強になりますた。
※追記6/7
あれなんかアクセス多いなあと思ったら、徳保さんというかたに話題にしていただいていたのですね。ありがたうございます。
そうかあなるほどそういう見方が普通なのか。。
TBいただいた方々とも、どうも何かすれ違ってる気がするなーと
思っていたことが徳保さんが書いてくれたら分かったので、
自分の覚え書きの為にもちょっと書いておきたいと思います。
まず、私の↑の文は、それ自体が「感情論」です。
要約(というか女子脳が勝手にはしょった部分をきちんと補足)すると、
気にくわないなら気にくわないと普通に言っても良いような時に、わざわざ「この場にとってこれがベストだ」という論理を組み立てて話す癖のある女性の一部には、
私は
- 気にくわないと普通に言い返すことも出来なければ(”感情なんて出しちゃって”と下に見られてスルーされるので)、
- 同じくこちらが適当に論理を組み立てて反論することも出来ない(それをやると怒り出すので←他人の論理を聞きたいために論理的に話しているわけではないから)、
という話でした。
こういう人と私の間ではいつも一瞬でヒエラルキーが決まってしまうのです(もちろん私が最下層)。。。
男性陣には少々理解しづらい世界でしょうか。
徳保さんの仰る「前提条件」、女は普通敏感に察知します(論理自体の矛盾に気付いたりする能力よりそういう察知能力の方が高いです)。
私はまさにその「前提条件(この場合はお互いの感情)」と直接対話したかったわけですが、
「論理的だと信じている人達」は、わざわざ感情そのままでなく論理に変換してしゃべるくらいですから、
なにか感情的であることにコンプレックスを持っているんですね。
もっと言えば”感情的である他の女”を見下す事によって自分のアイデンティティを確保している節があります。
だからその(自分の)感情を見つめようとはしてくれません。
当然、他人が違う「前提条件」を持っていることを許してくれないのです。
それだと真に論理的ではないでしょう、論理を感情的に使ってるでしょう、
という意味で「論理的だと信じている人達」と名付けてみました。。
男性同士や男性との会話ではこういった事が起きているのを見たことも経験したこともないので、
やっぱりそれは女性が「論理的ではない」と言われる所以なんでしょうか。
無矛盾な論理ならそれは感情からいくらでも生成できるのは確かなのですが(私自身がよくやるので)、
なんというかな、私の「論理的」のイメージって、
その「前提条件」も含めて論理であると分かっている人、
いくら感情から論理が出来上がっていようが、より妥当な論理が他にあれば、
そちらを喜んで採用する知に対しての謙虚さというか、
むしろ自分の感情を極力介入させずに目の前にある事象や要素で物事を組み立てていこう、という
フラットな心持ち、っていう感じなんですよねぇ。
それがもしお互いに出来なかったら、お互いに論理的とは言えないんじゃないかなぁ、と。
って飛躍しすぎか。