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ルールの狭間とワーキングプア

「道が曲がっていたら、曲がりなさい」


どこかの本に書いてあった。
読んだのは、社会人になりたての頃だっただろうか。
あの頃は就職氷河期真っ只中で、
ただでさえ社会というものに疎く、働くことの意味も分からなかった私は、
よくわからないまま社会に転がり出て、
それでも、非正規雇用ながら、会社員という身分をもらえて、
それはとても幸せであると、無邪気に喜んでいた。


終身雇用?安定?何それ?
リストラの大合唱が日本を覆っていたあの頃。
世の中の景気はどうせ信用できるものではないし、
諸行無常とはよく言ったもので、何一つ変わらないものなんてないんだ、
明日は全く違う経済になってるかもしれないんだ、
会社の永続や雇用の安定、そんなものを信じて自分の人生を組み立てるなんて恐ろしいこと、
絶対出来ないと、思うしかないような世の中だった。


バブルの頃に苦労せず就職してた人たちを羨ましいとは思ったけれど、
実は私たちの世代が得たものは、その人たちが得たものよりももっと大きい。


仕事は所詮、アイデンティティとイコールではない。
道が曲がっていることに気付いたら、自分もそちらに曲がればいい。


自分の仕事が世の中で需要がなくなってきたと感じたら。
会社の方向性が、時代とずれていると感じたら。
世の中に、時代に、自分の感覚に合わせて方向を変える。


曲がったところで自分は自分、それは変わることはない。
自分という芯さえあれば、その芯が自己実現できる場所はいくらでもある。
そのことを、こんな若いうちから知ることが出来た、私たちはなんて幸せなんだろう。
大丈夫だ、これからどんな変化があろうとも、それは普通だ。
むしろ、変化が本質なんだ。


その本を読んで、私はとてもごきげんな気分になったことを憶えている。


・・だから、『NHKスペシャル「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」*1』を観た時、
最初の感想は、申し訳ないけれど、


「なんで仕事変えないの?」だった。


いや、もっと正直に言うと、、、「なんで自分、変えないの?」だ・・・。


道が曲がっているのに、まっすぐ進もうともがくのは「努力」なの?「一生懸命」なの?


紹介されている人たちに「思想」が見えない。働くために働いている。
自分の人生、もっと上手くやるには?・・そんな思考は停止しているようだ。
かといってラテン系に明るく開き直っているわけでもない。
一度覚悟を決めて、死ぬ気で新しい何かをやってみようとするわけでもない。
目の前の仕事に追われ、生活に追われ、ただ、じっと手をみている。



その昔あった、「安定」という言葉の意味を、実感を持って私は知らないので、
定年を過ぎた両親がときたま私に求める「安定」の実態が、いったい何なのか分からない。


ただ、その言葉が、
「一つのことしか出来ない(と信じ込んでいる)人々」を、「一つのことしか選べない(変われない)人々」を、
作ったんじゃないの?
そう思えてならない。



私は、この番組に出てきた人たちが弱者だとは思わない。
自分と何がそんなに違うのかわからない。
ただ、強いて言えば、不器用だとは思う。
自分の人生はもっと良くあっていいはずだ、という傲慢さに欠けている。
あのバカがあれだけ儲けている。自分にも出来ないはずはない。
そんな浅はかな、でも大切な自尊心が、過剰なまでに、卑屈と言ってもいいくらいに、遠慮している。


この人たちが窮地に陥る前に、例えばお上が、
「道が曲がっていますよ、あなたたちも曲がりなさいよ」
そういえば、彼らも曲がったんだろう。
ただ、そこは自分で気付いて曲がるしかない場所だった。
いままで声をかけてくれていた、そしてこれからもかけてくれるはずだったお上が、
突然に、「自己責任」と一言言い残して、去ってしまっていたのだ。
彼らが素直に、一生懸命で、努力を怠らず、ただちょっと、盲目的だった間に。



不器用な人は利用される。
そういうのは、まだ短い人生経験の中でも、さんざん見た。
他人から見たらどうして気付かないのかと思う。
だけど本人には永遠に分からない。
分かる人にはわからない。分からない人の辛さは。



「あなたも器用になりなさい」
そんなことが出来たら、とっくにやっている。



最初から「自己責任ルール」だった私たちは、いい。
年金も払う。もらえなくても払う。
それでリセットされるなら、その次の世代がよく生きられるなら、それでいいとも思う。
多少搾取されようが、タフに作られているから、
それはそれ、文句は言いながらも、どうにか生きていく。
それもこれも、社会人になった「最初にルールの説明があった」からだ。


私たちなら思い知っている。
どんなに一生懸命でも、間違った、流れに逆らった努力など永遠に報われないことを。
人に迷惑をかけないという思想が必ずしも善でないことを。
大騒ぎして、周りに助けを求めることが時には自分の成長にとって一番の正攻法であることを。
主張しなければ、存在しないもおなじだということを。
じっと手を見る暇があったら、努力のベクトルが間違っていないか検証しなければ”怠惰”という罪に問われ、そしていつか、自己責任という罰が下されることを。。。


でも、ほんの10数年前まで、日本には違うルールが存在していたんでしょ。
それを信じて、みんな生きていたんでしょ。
誰かルール変更の説明を、きちんと、日本の隅々まで、情報デバイドなく、伝えましたか?
新しいルールの講習会は、全員受けられたんでしょうか、、、。



政治家や官僚である時点で器用な「勝ち組」の人たち。
彼らに、こういう人たちの心が理解できて、かつ、最大限の敬意を払うことが出来るのか、、
わかんないけど。


旧ルールで行くと、新ルールへの変更説明と充分な移行期間は、必要だったはずだよ。やっぱり。
新ルールになった後だったら、もう「はい明日変わります!」とかでも最悪泣き寝入りしかないけど。


この問題、新ルール側からいくら批評してみても、しょうがないのかもしれない。
もちろんあの頃は、移行期間なんて言ってる場合じゃなかったから、
せめていまからでも、セイフティーネットを、張り巡らせないだろうか。


政治は。。