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優等生の目的

優等生は、学生時代、優等生であり続けた過程において、
優等生であるということ自体が目的化してしまう。
優等生を支え続けているのは、
優等生であること以外で評価された自分を知らない、という根元的な恐怖だ。
もっというと、評価されないところでの自分の存在意義を
確信し続けられないという弱さだ。


愛の中で、
条件付きの愛(〜したら愛す、〜が出来たら愛す)ほど残酷なものはないけれども、
そして、そういう愛し方をしてしまう
出来損ないの親は多いけれども、


たとえ親がそういう性格でなくても、
優等生は、最初に優等生であったその不幸によって、
自らを縛り続ける。条件付きの自己肯定に。


そのままのあなたでいいんだよ、
なんて事は言うつもりはない、というか
そのままだろうが発狂してようがその人はその人だから
どうでもいいけれども、


優等生であること・・つまり良質な歯車であることを、
手段にするのではなく、目的化できてしまうほどの
世界観の狭さ、メタ認知の稚拙さというのは、


世の中的にみたらそれは、
優等生というよりはものすごい劣等ぶりなんでないの、ということを
うまいぐあいに教えてあげられないものだろうか。
と、たまに思う。


そうすると、優等生は、私が挑発した
”世の中的に見て優等生”に、なろうとするので、
いいんじゃないかなと。


まだ成功したことはないけど。。。