言葉はそれが人に伝わったときに覚える
って誰かが言ってました。
そうかも。
何か「言葉」を1つ、覚えたとしても
それを実際に発してフィードバックを受けなければ、
コミニュケーションの”道具”としての言葉がまとう
立体的な意味空間を、リアルにつかみ取ることは出来ない
ということは思います。
少なくとも私たちは、
母国語はそうやって覚えたんだろうな。
ちゃんと伝われば希望通りの相手のリアクションを受け取れるし、
不適切だったら「不適切である」ということを学習する。
自分がカタコトの英語を話すときとかもわかる。
一度普通に通じた言葉は自分のストックにきちんと格納される。
相手に怪訝な顔されたり言い方を直してもらったりしたときにも、訂正版がきちんと格納される。
でも、さあ勉強でもするじゃん、ってテキストを流しただけのものはぜんぜん覚えてない(汗)。
言葉は、1つ1つが立体的な多面体で、
文字に落とされた物は、その一面だけが見えているだけなんだよなあ。
ほんとに、全方位にその言葉の感触を確かめたかったら、
紙からその単語を引き剥がして、手に持って転がして、そして、
いやほんと言い得て妙だけど、ちゃんと実際に「キャッチボール」してみないと
だめなんだよね。
いやま、今更^^;。