旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

貸しが(ちょっと)多い人生

の方が好き。というか得だと思う。


何かやってあげたとか、いいことしたとか、あげたとか、
きちんと覚えていてそれに対する見返りが妥当かどうか
計算するのも合理的なのかもしれないけれど、


それだとその人の初期設定というか通常状態がが差し引きゼロでしょ。
他人や世の中と差し引きゼロ、イーブンっていうのは
一見自立しているように見えても、
なんていうかな、凪みたい。
世界と作用し合っていないというか。
(実際には均衡を保っているんだけれど)
悪いことが起こらないかわりに、いいことも起こらなそうな。


不安定ゆえに変化が起きて、私たちは、
こう、未来へがしがしと進んでいく。
変化し続けることが安定することであるという、
ちょい逆説的な、有機体的ありかた。


息を、吐いて吸うように。
足りないものがあるから補おうとする力がはたらき、
それが過剰になるとまた報いようという作用が現われる。
それが世の中をまわりまわって、
今日もどこかで作用大会。


いつも差し引きゼロを目指しているよりは、
多少貸しが多いくらいをキープできるように、
生きていったほうが、みんなご機嫌だし、
人生に余裕があっていいかんじ。


”徳を積む”、”情けは人のためならず”・・とかでもいいんだけど、
そういう、長期投資的算段ではなくて、
なんというかもっと、自然な形として、
例えば最期、自分が死ぬときに、借りが多いのと貸しが多いの、
どっちが粋でかっこいいかとか。
そういう、なんとなくレベル。


尽くしたのに捨てられた!!!
とか、
資財なげうってボランティアを!!
とかいうディープなのじゃなくてね。。。
軽く、貸しが多いくらい。
痛くもかゆくもない程度。
自分がすっかり忘れられる程度。
金じゃなくて。自分の行いとして。


そんくらいの遊びがあるとやっぱり
精神衛生上いいかなん、と。


いうようなことをうつらうつら考えていたら、
本にもっと的確に書いてありました。


「合理的な人」は結婚に向いていない。  それは「合理的な人」が人間関係を「等価交換」のルールで律しようとするからである。 「私はこれだけ君に財貨及びサービスを提供した。その対価として、しかるべき財貨及びサービスのリターンを求める」という考え方を社会関係に当てはめる人は、残念ながら結婚生活には向いていない(そして、ビジネスにもむいていない)。  というのは、人間の社会は一人一人が「オーバーアチーブ」、つまり「対価以上のことをしてしまう」ことによって成り立っているからである。


内田先生の文って畏れながら、どうもいつも言葉が的確すぎて色気がないよなあとか思っちゃうんだけど(頭いいって素敵)さておき、
なるほどう。もともと等価狙いは無理があるのか。



ま、でもこういうの、日本人が一番得意な気がする。
いざというときに損得抜きでいろいろやるの。
少なくともアメリカと中国のお国柄よりは。。


と、自分は親からの借り(恩?)、すら返していない分際ですけれども(汗)。
せめて貸越しになるくらいまでは長生きしよう。