時間感覚。
10時に閉まる店は10時を過ぎてから閉店準備をしたらいいと思う。
なぜ10時10分前から従業員までもが終業準備(客の追い出し空気醸成)を始めるのだろうか。
そういうのは閉店は9時50分というのではないだろうか。
親と待ち合わせをすると必ず10分前に来る。
お前も10分前に来いと言う。
つまり待ち合わせ時間が10分前なのだなというと、
そういう問題ではないという。
この10分前行動的な時間感覚が、日本だと普通なんだろうな。
理解できない私がダメらしい。
遅刻の概念がない国があるそうだ。南のほう(←小学生)。
待ち合わせをして、相手が来なくても、ああ、気が変わったんだなと思って、
それでお互いオッケーな国。
老後はそういうところで暮らしたい。
自分の遅刻もどうでもいいが、他人の遅刻もどうでもいい。
”やらなければいけない”という概念のない国もあるそうだ。
スピルバーグが『アミスタッド』という映画を作ったときに、
奴隷役の大勢のエキストラを使うときに、
彼らに”しなければならない”という文法がなかったので困った、
と話しているインタビューを昔読んだ。
うろ覚えなんだけど、すごい衝撃的だったので、覚えてる。
(カントの仮言命法とか定言命法とか超通じないだろうなあ。素敵だ)。
現代人は時間に正確なことが大切で、
やらなければいけないことをしっかりやることが大切だ。
それはその通りなのでがんばるけれど、
これが別に人間の生来のものではないことは、
その概念を人類全体で共有しているわけではないことで明らかだ。
つまり、あんまり一生懸命になりすぎると、
その人のほんらいが、疎外されることもある、きまりごと。
勝ち組負け組がほんとうにあるのなら、
時計を捨てて生きられる人が勝ちだなあ。きっと。