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エクスプレインとエクスキューズ

昔から日本には、何か失敗や失態をしたりしたときは、
言い訳をしない、というような文化があって(まだあるっけ?)、
私はどうも、それに釈然としないでいた。
実は本当にやむにまれぬ事情があってとか、実は誰かを助けていてとか、
実は誰かをかばっていてとか、まあいろいろと、そういったことがあっても、
そういうのはずっと後になって、しかも周りから
”実はあの時はね・・”と聞こえてきて、やっとその人に非がなかったことがわかる、
みたいな回りくどいやり方が美徳とされていて、
本人がその場で説明を始めるなんて言い訳がましくてみっともない、ということである。


ドラマや小説だと(現実でもたまにあるかもしれないけど)それが
本人が亡くなってから分かる、みたいな展開もあって、
それがまあ、美談なんだそうである。


で、日本人のくせに私はどうもこの考え方になじめず、
もちろん言い訳の余地がない場合はしないけど、
理由があるなら説明しろよさせろよ時間の無駄じゃん他人が察してくれるとかお天道様が見てくださるとか思うほうがよっぽどおこがましいじゃんよ、と
釈然としないでいたら、
大学の時誰かに、少なくとも英語圏では、
日本のように”すみません”とだけ言ってそれで終わりだと大変失礼である、と教えてもらった。
たとえば遅刻だったら、寝坊して、電車が遅れて、等きちんと理由を説明するのが最低限の礼儀だと。
(たとえば授業に遅れてきた生徒も、日本みたいにすみませんと小さく言ってそそくさ席に着くのではなく、入り口でなぜ遅れたか先生にきちんと説明してから席に着く、みたいな。これはこれでめんどいけど。)
わが意を得たりであった。やっぱそういう考え方もあるよね、とほっとした。


たまたまさっきNHK教育テレビドイツ語講座見てたら、ドイツでもやっぱり謝っただけで理由を説明しないのは失礼だと言っていて、思い出した。



そうは言っても私は日本人なので、確かに”言い訳”を長々されると引く(ってみんな嫌か)。
しかし、説明と言い訳は違うのだ。
言い訳は、ほんとの理由(やる気ないとか自分の能力が足りないとか)が言えないのを取り繕ってるだけだけど、
きちんと理由を分析し、それを伝えるのは”言い訳”ではなく、”説明”だ。
説明は、なされなければならないものだ。必要なものだ。


上司のような役割の人で、たまに、
言い訳と説明がごっちゃになっている人がいる。
部下の失敗や失態の理由説明をすべて”言い訳だ”と言って聞かないのだ。制してしまうのだ。
本人はそれが正しいと信じている。
何か、日本人の美徳的なものを勘違いしているのかなあ、という気がする。


だってそれだとその人の部下には、
失敗した時に、言い訳ではない、きちんと失敗の分析をし理由の説明をする、
という経験や能力がまったく育たない。
とりあえず頭下げてひたすら謝っとけ、の世界。
大切なのは理ではなく情!みたいな。


クレームだってそうである。
クレームを言った時に”言い訳”されるとむかつくけど、
かといって、なぜそうなったか、原因は何だったの説明が一切なく、
ただひたすら”すみません”とだけ言われ続けても、
バカにされてるのかと思ってしまう。


例の、女は子供を産む機械発言をした大臣、あれも、後で何を言おうが”言い訳”だと捉えられてるんだろうなあと思う。まあこの例は確かに後で何を言おうが言い訳だけど(笑)。
私個人としては、機械といわれたくらいでいちいち傷つくような中途半端な自尊心は
女として、いまいち持ち合わせていないので、まったくそれはどうでもいいのだけれど(それより、そんなことで補正予算審議をボイコットした野党には500倍どん引き。思想がないってああいうことなのかと勉強になった。さておき)、
ああやっぱり、失敗したらその時点でアウト、説明も釈明も聞いてもらえないというのが、
まだまだ日本の姿なんだなあ(たとえ政局に使おうとした演出だとしても)、としみじみ思った。


それが文化だと言われてしまえばしょうがないんだけど、
ただただ謝れば(辞めれば)それが一番誠実なんだ、っていうのもいいかげん芸がない。
それで溜飲を下げちゃう周りのメンタリティもなんだかなーってかんじ。


たいていのことは、起こってしまったらどうしようもない。
大事なのは、事態を収拾し、体勢を立て直し、次に繋げることだ。
やっぱり、それには、その失敗の、失態の原因について、理由について
言い訳や言い逃れではなく、
きちんと周りに対して説明が出来ることが、その機会が与えられることが、
日本の文化でだって、保障されるべきだと思う。


まあ、その辺は、勘違いした(言い訳と説明の区別がつかない)老害系の人たちが社会から引退すれば、そのうち変わっていくのかな、という気もするけれど。