旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

Hello, human.

ウェブで時に嫌われる”匿名”で気に入っているところがある。
地位や立場や年や性別をリセットして、
ゼロからコミュニケーションを構築したらどうなるだろう。
そのときの私の扱われ方は、
リアル社会での扱われ方と違うだろうか?
そんなことが実験できることだ。
(いまんとこあんまり変わらないことが判明。リアルで外見的付加価値がないってことねorz..)


アメリカで実名が多いということがよく言われるけれど、
理由が、渡辺千賀さんの『ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない) (朝日新書)』を読んでちょっと理解できた。
全土がシリコンバレー並みなわけじゃもちろんないだろうけど、
人脈と信頼重視の能力主義社会では、匿名ブログなんてやってる暇があったら
それなりのブログを実名で書いてPRツールにしたほうがよっぽどいい。
自分の人生がリアルの段階ですでに”ネットワーク”頼みなのだから、
ウェブは強力な”自分の販促ツール”として映るだろう。


私達の社会もいずれそういうものになるのかもしれないけれど、
匿名のある種のすがすがしさを発揮する場は、
匿名ダイアリ的に、残るのだろうと思う。


梅田望夫さんがフォーサイトのウェブ連載で、”そこに情報があるから”ということで、情報をあまねくウェブ上に載せるじゃん、という狂気の沙汰をGoogleが黙々と敢行している様を紹介している。
引用されているグーグルCEO(最高経営責任者)のエリック・シュミット氏の言葉が印象的だ。

「こちら側」のパソコンに情報やアプリケーションを持たずとも「あちら側」からすべて提供されるようになるのが「コンピュータ・サイエンスの進化のあるべき姿」とグーグルは信ずるのだ。シュミットは続けて「The network will truly be the computer.」(ネットワークが真にコンピュータになる)とこの文章を結ぶ。

シリコンバレーからの手紙-「ビスタ」を無意味にするグーグル「二つ目の顔」

ウェブはテレパシーではないので(あたりまえ)、回線の保証があってこそのこういった構想だけれど、とにかく

グーグルはいま莫大な土地を買い集め、巨大なデータセンターを地球上にいくつも建て、それらを高速ネットワークで結ぶ突貫工事を続けている。グーグルの設備投資額は二〇〇五年下期から急増しているのだが、二〇〇七年は、年間三千億円に及ぶ設備投資が行なわれよう。

ということを本気でやってる会社があるのはただただすごい。


ウェブはリアル社会の代替物ではないけれど、
私がゼロから人間関係を構築してみたいと思ったように、
人間のコミュニケーション活動を再構築してみる実験場としては最適だ。
Secondlife的にリアルを出来るだけ再現するのもありだけど、
私は素のままのウェブ(?)で自由に素材やシステムを使って泳ぐほうが楽しい。


web2.0で、自由に使える便利な道具がたくさん出てきた。
Googleはさながら、その地平に素材・・情報・・を供給する創造主、つまり神だ。
神だけあってそれを持って世界を統治することに興味はわかないだろうけれど。
(そういうことやりたがるのはすべてを持たない人間の分際くらいです。)


私達がリアルで日々営んでいる人間関係は、
生まれたときからすでにそのシステムに放り込まれていたため、
すでに文化があり、すでに常識があり、すでにヒエラルキーがあり、
それをメタに”私達にとって最適な人間関係とは”なんて検証しながら
行えるものではない。


でもウェブ上でなら、それができる。
自分達のシステム(コミュニケーション)を再構築、再定義できる。
もしくは発見しようとしている。
ユーザビリティーとは何か、ユニバーサルデザインとは何か、
どうすれば生産的な関係が構築できるのか。
相手はどの次元で話をしているのか。
共有している認識は何か。していない認識はなにか。
リアルで私達を縛るさまざまな属性の制約が取り払われた場所で、
ガチでコミュニケーションをしたら、
むしろそこにこそリアルがあるかもしれない。
少なくとも私は、そんなことを夢見る。


ネットワークがそれ自体コンピューターとして機能する世界が来たとき、
私達も必然的に、より”繋がる”ことによって生産をしていくようになるんだろう。
たぶん私達はその過程で、
さまざまなコミュニケーションのあり方を”再発見”する。


その頃はヒューマン?.0になってるのかわからないけど、
どうせなら行くところまで付いていきたい。


案外そこで私達は、出会えると思うんだよな。
私達がいまリアルで中途半端に見失っている、
ヒューマンのデフォルトに。
素直に、掛け値なく人間的な、あり方に。