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フューチャリスト宣言読んだ。

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

GW前に発売してくれよーゆっくり読んだり感想書いたりできるのに。
書評・・じゃないな感想とかは別ブログだったりもするけど梅田さん関係だからはてな


これ、ターゲットが難しいね。じゃないか、私がターゲットとして難しかった。
もともと自分の哲学というか主義として、”世の中は明るいものであるという文脈を能動的に適用しよう”っていうところがあるんだけど(世の中の見え方って自己の投影だしさ。ご機嫌なほうがいいでない)、
私なんて足元にも及ばない勢いでその路線でがんがん進んでる2人の対談でしょ。
それって読む前からマンセーだよなあううむとか。
あとウェブ好きだし。


はてな村民じゃない方でこのブログを見てくださっている方は流れが分かりづらいと思うんだけど、この本は、このブログ(ダイアリ)サービスとかを運営している株式会社はてなの取締役、あの『ウェブ進化論』の著者、梅田望夫id:umedamochioさんと、脳科学者で、最近NHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』のコメンテーターや教養バラエティ番組等にも出演されている茂木健一郎さんの対談本です。
内容は、ウェブ2.0が変える人間の知のあり方、そして生き方、かな?


ちょっと長いけど、最初に茂木さんの”はじめに”を引用

 梅田さんの『ウェブ進化論』(ちくま新書)を読んだ時の感動は、鮮明に覚えている。
  -(中略)-
 梅田さんの本から発せられる熱は、ともすればシニカルな批評に終始しがちな現代において、希有なことのように思われた。しかも、上すべりのオプティミズムではない。人間性に関する深い洞察に基づいた、筋金入りの何かを感じたのである。
  -(中略)-
 梅田さんの持つすばらしい資質は、「楽天的であるということは一つの意思である」とでも表現できるような決意と世界観である。インターネットという新しいメディアに関して現時点で人々が抱いているイメージは必ずしも明るいものであるとは限らない。流通している情報の質が悪いというだけでなく、誰も管理しないネットという場は誹謗中傷や犯罪の温床になるといった、きわめてネガティブな印象を持つ人もいる。
 しかし、梅田さんが常々言われているように、「未来に明るさを託す」
ということは、単なる現状の認識に発することではなく、むしろそのような世界を創り出すという意思に基づく行為である。インターネットは、物理的な距離や言葉、文化、社会的な階層といった障壁を超えて世界中の人々を結びつける大変なポテンシャルを持っている。


はじめに -p13

私もそう思う。
梅田さんは、『ウェブ進化論』でも、また、ブログのエントリでもよく”能天気すぎる”とか”無責任だ”とかいう批判を受けている。職業としての批判引き受け係みたいな感じ。で、今回の対談相手が、それに全面的に乗ろうでないの、という火に油(?)の茂木さん。だから多分今回も反感や反論がある。と思う。


ただ、私は、自分を二人からのメッセージを”受け取る側”に置いた。
まあ、年齢的にはギリかもしれないけど(笑)。
その立場から言うと、二人ともポジティブ全開で全然かまわないんだよね。
ネガティブなことってさ、自分が散々考えるからいいんだよね。わざわざ言われなくても。ていうかネガティブな大人うざいんだよね。もしそれが単なる自己顕示でないと言うのなら、誰をどうしたいのか。
先を走る大人たちがポジティブなことを言おうがネガティブなことを言おうが、責任なんて自分で取るに決まってるじゃない。判断は自分でするよ。
反論にも真摯な思いの場合はすごい有難いときあるけどさ、この辺の話題に関しては、よし、がんばろう私、って思える熱い反論にはまだ出会ったことないんだよな。
あ、でもまあ、何にでも批判する悪役の人はそれはそれで嫌いじゃないけど(笑)。でも多分このお二方の仕事ではないでしょう。



ああすみません本題。
まず最初からフューチャリストってなんすかと思ったんだけど、「未来学者」という日本語が当てられている。未来を志向し、予想していく人。その実現を信じる人。それは多分結構外れるだろうけれど、

 未来派予想するものではなく、創り出すものである。そして、未来に明るさを託すということは、すなわち、私たち人間自身をしなりするということである。
 私たちが人間を信頼すればするほど、未来は明るいものになっていく。少なくとも、私と梅田さんは、そのように信じている。
 この本は、私たち二人の「フューチャリスト宣言」なのである。

はじめに -p15

とのことです。


対談って掴みづらいね。。
とりあえず今日は、個人的に特に印象に残った点のことを書きたいと思います。梅田さんの論は存じ上げている(と思う)ので、茂木さん多めで。
ただあの、私は茂木さんのバラエティでの2次元くらい上から時空を超えて切り込むメタ発言(プレゼンスなんですよとか普通に通じる言葉だと思って発言してるとこ)は大好きなんですが、文系の私には自明でないことが多くて辛うございました。みんなこの本簡単?ううむ。


脳とインターネット

このトピックこそ二人が対談した醍醐味。
ウェブ2.0は、公共性、利他性の原理で動くフラットなネットワーク。

茂木 脳科学、神経経済学を研究している立場からいうと、脳とインターネットの関係は大変おもしろいテーマです。インターネットの世界は、私の言葉でいう「偶有性」、つまり、有る自称が半ば偶然的になかば必然的に起こるという不確実な性質に充ち満ちています。
梅田 インターネット全体を、脳に似ていると言っていいんですか?
茂木 スモールワールド・ネットワーク性(一見遠く離れているものどうしも、少数のノードを通して結ばれている性質)という観点からみると、そっくりです。ローカルにコントロールできる部分とできない部分があるということもとてもよく似ている。脳の神経細胞のネットワークもローカルな回路だったらコントロールできるんだけど、少し離れたところで何やっているかということはコントロールできない。インターネットも、自分のブログに対してどこからどんな書き込みがくるかなんて、コントロールできることじゃないですよね。


第1章 黒船がやってきた! -p28


”茂木さんの言葉で言う”「偶有性」っていうのは、茂木さんのブログでよく見かける言葉なので、なんとなく雰囲気は分かる。
この言葉は極東ブログのfinalventさんがいろいろと考察していらっしゃったり、あとダイレクトに知りたかったらこの本を読むのと、あとこの辺端から見たらいいんじゃないかな。
この本での説明の範囲内で言葉通りに受け取ると、偶然と必然が一緒になった事象ということだ。。ってえええ?
っていうところが面白い。
スモールワールド・ネットワーク。も、分からなかったんだけど、よく出てくる6次の隔たりとか、そういう話のことだそうで。
ちょっと違うかもしれないけれど、自分もこういう感覚を抱くときはある。
同じ体系内で、みんながちょっとずつ干渉し合ってる。お互いがお互いの変数になってる。全然関係ないと思ってる人とも、遠くで何かが動いたせいで、突然つながりが起こる。

自分がコントロールできない世界。だけどまったくの偶然じゃない。確実に自分が能動的に動いたことが作用しているんだけれど、その結果は自分で決められない。そんな感覚。確かにインターネットはそんな感じがすると思った。



対談はこの「偶有性」をキーワードに、グラフ構造、リーゾナブル、セレンディピティクオリアとグーグル、ディタッチメントとヒューマンネイチャー、ラフコンセンサス、などの知恵熱出そうな概念話からブログやSNS、タグやオープンソースと脳の報酬系の関係といった事象について等、多岐にわたって進んでいきます。たのしい。勢いがあって分かった気になる(笑)。


とにかく話題がめまぐるしいので、、どうしようかなあ。そうだ。これだけ。

これからの学習

茂木さんは頭がいい上に学習が趣味なんだと思う。生来。
茂木さんは、インターネットの時代、大量の情報の時代では、志向性が意味を持つと言う。”何を選ぶか”でその人の組み立てる知が、それぞれまったく違う。

茂木 この話との関連でいえば、大学院の入試のときに、研究者としての資質を見る方法があるということに最近気づいたんです。学生によっては「学部で習ったことはきちんと理解できています」とか言って数式を解いてみせる人がいるんだけれど、そういう人はまず駄目で。研究者になる資質を持っている人というのは、野次馬的にいろんな方面に興味を持っている人だと思う。それは脳科学の「心の理論」すなわち、他者の心を読みとったり、あるいは共感する能力と関係している。共感力は、とんがった知性においても大事です。みんなが興味を持っていることに野次馬的な関心を持っている人は資質が高いですね。日本では、たとえば理科系なら、「日経サイエンス」に端から端まで目を通しているような、理解していないにしても、そういうことに広く感心を持っている人じゃないと駄目なんです。
梅田 無限に広い地図のなかから、自分が行くべき道を探し得る能力があるということですね。
茂木 いままでの教育というのは、学校で学ぶように定められた内容について、100点をとれるように向けてあげることでした。そうではなくて、いまは学びうる範囲が無限に広がったから、選択することこそ教えなければならない。
梅田 教育の考え方を大きく転換しなければなりませんね。
茂木 そこで何を選ぶか、という点こそが勝負なんですよ。


第3章 フューチャリスト同盟だ! -p109


これは厳しいね。でも真実だと思う。
選ぶっていうのは凄いことだよ。自分が何を学習するか選ぶというのは。
どれだけの教養と判断力を裏に必要とするか。

茂木 僕は、インターネット時代には、逆説的ですが、古典的な教養というものが、復活するんじゃないかという気がしています。総合的な視座が求められる世になるから、かえって、それこそ孔子だとかゲーテだとか、総合的な知を実現した人たちに感心が再び向かうだろうというのが僕の直感です。ネット時代の教養における「固定点」のおうな役割を本がするのかもしれませんね。
梅田 移ろいゆくものの参照点として。


第4章 ネットの側に賭ける-p148


あうう。


私はよく文系・理系に分けたエントリを書いたりするけど、基本的にそういうのがナンセンスだということは分かってる。梅田さんも茂木さんも、文系的にも理系的にも話が出来る。対象に合わせてモードを変えるだけの話。
知はもう、そうやって棲み分けている段階じゃない。


学習の高速道路、その先に渋滞という、梅田さんが紹介された羽生善治さんの比喩。高速道路は確かにある。ただ、すごいねぇ。私達は高速道路を何本も選べる時代に突入しようとしている。組み合わせは無限。人間みんなちょっとずつ志向性が違うから。
そういう時、知を囲い込むのは意味が無いよね。自分が選んだ道を探求するだけじゃ、視野が狭くなる。他の分野の知が入ってきたほうが知識が活性化され、より自分の分野に対する知が深くなる。
それには他人から頂くこと。そして自分も分け与えること。
これからの時代の知は、そういう相互作用無しに創れなくなっていくということだ。
他の人の知を分けてもらえるから、安心して自分の分野でオタクになれるんだよね、みんな。お互いリスペクトし合って。


そういうインターネットがいいなあと思いました。あとさ、私の妄想内での偶有性だとね、自分が相手の変数になっている感じなのね。
だから、これから出会う全てのもののために、自分自身が自分の信念に即して”まっとう”でありたいと思ったよ。
だって、これから出会うものの中にはみんな少しだけでも、「私」が作用しているんだから。



追伸
サイン本も欲しい!(しつこい)