旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

ブログと隠蔽

人と人がある種の”匂い”を感じて近づく時には、
その人のしゃべること、書くこと、行動を見て、
それらの総体から感じる、でもその裏にいて出てこない
「何か」に惹かれる。気がする。


その何かは、例えば、痛みだったり、悲しみだったり、野心だったり、信念だったり、思想だったり、信仰だったり、色々あるけれど、
それが本人にあまりにも近すぎて、客体化(言語化)出来ない場所にあるから、
表には、明示的には出てこない。
本音っていうのかな?そうかもしれないし、ちょっと違う気もする。
どんなに自分は本音を言っていると思っている人でも持つ、
意図的にではないけれど、その人の、隠蔽された何か。


で、そういうものは、大抵うざいので、基本的には、そんなものはお互いにスルーしながら、
上辺に出ている物だけを、そのままの総体でその人であると受け取って、コミュニケーションを取る。


たまに、気に入った隠蔽を持つ相手が見つかったときだけ、
相手の、隠蔽の、その泉に近づく。


でも、その泉自体の話はしない。
こんこんと、そこから湧き出る水の周りを回る。
たくさんたくさん。
まるでその水をかき集めて、泉の形を浮き上がらせるみたいに。


でも、その隠蔽自体は、最後まで、確認し合わないままなんだ。出来ないままなんだ。
そしてそれでいいし、それがいいと思う。


まあそのせいで片方の「勘違い」が暴かれないままというリスクもすごく多いんだけど(笑)、
それでもその方がいいと思う。
出会いは一つではないし。


ブログでみんなが沢山沢山書くようになって、
みんなが見つけたいのは、どこかに、同じ隠蔽を持つ魂があるかなとか、
そういうことじゃないかなあ。



くだらないことでも、自己欺瞞でも、ただのナルシスでも勘違いでも何でもいいから、
もっともっと大量にゴミみたいにたくさんの文章が流れ出たらいいと思うよ。


隠蔽の輪郭が、見えてくるでしょ。
匂うようになるでしょ。
そういうじめじめしたの、日本っぽくて好き。