旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

繋がりたい私の選択

私という話をする時は、
どのレベルの「私」のことをお互いに話してるのかがほんとややこしくて、
こんがらがるので苦手。
公に対しての個という意味での私なのか、
何々ちゃんと私は違うというときに使う私なのか、
無私とかいうときのエゴとしての私なのか、
肉体としての私なのか、
感情や理性といったラベルのついた私なのか、
ゆえに我ありの根拠としての私なのか、
潜在意識とかいう私なのか、
魂とも言い換え出来そうな絶対的な私なのか、
ホルモンバランスがちょとアレになってたりしっかり鬱だったりするときの私なのか、
恋は盲目の真っ最中の私なのか、
痴呆になっても精神に異常を来たしててもなお残る私なのか、
あといろいろ。


でも、だから面白いのかもね。
私という話をするときは、みんなのそれぞれの個性や認識がよく出るから。。。


今日のfinalventさんの一連のエントリをきっかけに
最近の自分にとって「私」とはどうなのかなとちょっと考てしまった。


どうも最近は、「ほんとうの私」、というようなものにはあんまり興味なくて、
どっちかというと、表出しているほうの私、結果としての私、選択や行為としての「私」が気になる。


社会が昨日の私と今日の私とをおんなじ人間だと見てくれてること、
そういう、周りの人の、私の同定性への信頼と安心によって私は支えられている。
誰かが明日の私に今日の私の延長としての「場」を与えてくれることで、
私はその人の中に明日存在出来る。
そうやって認識されていることが私が存在しているということなので、
その整合性が崩れそうになると身体のどこかでアラームが鳴って
おっといけないいけないとどこかがバランスを取るようになっている。
別に相手は社会や友人じゃなくて、神や主義でもいいけど、、。


という感じで私は私を毎日”選択”してるような気がする。
一つ言葉を発すれば、一つ行動をすれば、それによって次の私の選択肢が現れる。
で、必ずその選択肢の中から次の”私”を選ぶようにしてる。
選択肢外から次の私を持ってくるようなことは、基本的にはしない。


アラームっていうのは、イメージが近い感覚は「恐怖」かなあ。


で、アラームが壊れているような人がたまにいて、
そういう恐怖みたいなのがないのかなあ強いなあうらやましいなあ何でもできるじゃんと思うけど、
やっぱうらやましくないかな。
そういう人は怖いし。
なんでも出来たって、周りの人や、過去や未来との繋がりがなきゃ意味ないし。


アラームっていうか恐怖というかこれは、弱い人間のための免疫機能なのかね。
その人間が”社会的に”死亡しないための。


んで、「ほんとうの私」、みたいな「私」というのは、
そのアラームのさらにメタ(というか基盤というか奥)にあるそのアラームを出している主体、
性格を選択する主体としての絶対的な「私」みたいなものなのかなと思うけど、
結局それだけをいくら考えていても私には見えてこなかったというか、よくわかんなかった。
だから、興味がないっていうよりは、諦め?
だからせいぜい「表出している私」という結果から帰納的に導き出す。
・・くらいしか出来ないような気がする私の脳だと。
しかもざっくり。


あと、何よりも他人の方がそういうのは分かってる感じがする。
私も他人のそういうの(アラーム機能)を感じて
ああこの人とは友達になりたいなとか思うわけだし。
そういう意味で、自分の身の回りに居てくれる人が、自分を表してるってのはそうなんだろうねやっぱ。
そういうのを見て毎日フィードバックして
なんとかなんとかほんとうの私とやらを掴もうとしているのかもしれません。


昔から私が何個もブログ(最近はミニブログも・・)をやってるのもきっと、
そうやっていろんな場においてのツールに左右される「私」を試したいわけだし、
他人の中での私の同一性を常に気にする私がどんな悪や罪を選択するのか(またはその同一性自体放棄するのか)を知りたいし、
そして、
結局死ぬときまで通して揺らがなかったのはなんだったのか、できれば死ぬ間際に検証してみたい。