世の中に取り返しのつかない事ってあるのかしら。
たとえば、
間違って人の命を奪ってしまうこと。
抱えきれないほどの借金を負うこと。
追い詰められて義より自分の命を取って仲間を裏切ってしまうこと。
もちろん起こった事は戻らない。
自分の信用も地に落ちる。
自分を一生許さないかもしれない相手が出来る。
自分の心に重い罪がのしかかる。
自分が大切にしていた世界の何かが、
自分を否定し始める。自分を排除し始める。
生が耐えられなくなる。
私だったらちょっと辛い。
開き直るのは無理だし、耐えるのも、、、。
だから、なるべく窮地に陥らないように気をつけているんだけれど今のところ、、。
何か大きな罪と呼ばれるものを背負ったとき、
多分、自分が生きるはずだった「きれいな人生」が終わるんだろうと思う。
屈託なく明るく、人並みの苦労をし、でも幸せに終えられたはずの人生を。
世の中に絶対的な善も悪も罪もないと思うけれど、
まあ、それでも自分が生きている場にはそれぞれ、そして自分の中でも、
それなりの基準はある。それを使って生きてる。とりあえず今回の生を。
だからそれを破ると辛い。きれいな人生ではなくなってしまうから。
自分の「世界」を壊してしまうから。
それは同時に自分が壊れてしまったことを意味するから。
もちろん能動的な「悪」を行う人、人を騙したり殺したりする人は
どうでもいいんだけれど、、。
(その人が世界をどうでもいいと思ったからそういう行為をしたわけで、私はその人の”世界”として逆にその人をどうでもいいと思うと思う。まあ、更正して→私達と世界をかけがえのないものとして共有しなおしてしてくれるならまた私もその人を私の”世界”(もしくはその構成物)として捉え直すけれど。。)
でも、そうじゃないなら、それは自分の意図ではなかったのだったら、
それは本当に何から取り返しが付かないのか、
考えたっていいと思う。
・・人は人を裁けないという。
それなのに、人は人を許せる。
手段が一つしかないんだよね。人間にはさ。
なんていうか、お互いに。
きれいごとを言うつもりはないんだけれど、
ただ、多分私は毎日誰かに許され続けて、今生きている。
日々、多くの人が、人を許しているのを見る。
他人に「俺を許せ」と要求するようなことは私にも出来ないわけだけど、
だからと言って自分から超積極的に許されなくなっていくのもどうかなと思うんだよなあ。
こうちょっと、ちゃんと言えないんだけど。
自分から壊れていったり、自分から縮小していったり、自分から消えていったりしちゃだめというか。
許さない世界なんて簡単だよ。他人に要求するのも簡単だし、自分でやるのも簡単。
ただ、ちょっと精神が磨耗するんだけれど、
きれいな人生じゃなくなっちゃうかもしれないんだけど、
自分と世界との均衡がイーブンじゃなくなってしまうかもしれないんだけど、
でも、人なんて世界と対等だと思ってるのは自分の脳内だけの話で、
結局は誰もが誰かの世界を侵食していて、
静かにそれを許して、受け入れてくれる誰かが大量にいて成り立ってるわけで、
たまにはそれをもっとがっつりいっちゃう事があったとして、
さすがに自分も自覚したりして、辛いけど、
でもそうやって甘えて生きたっていいじゃないとか思う。
そうやって生きる人間を社会は許さない??
うーん、少なくとも、そういうふうに悩むことの出来る人のことまで
許さないほど、世界は自分たちのことを棚に上げたりしないんじゃないかなあ。
ふむ。よくわからんくなった。
結局最後の砦は、自分が自分を許すかなんだろうね。
つまり、自分が世界を許せるか。
もうきれいじゃなくなってしまった世界を。
・・この生で自分がちゃんと、引き受け続けられますようにとか願う。