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救いたい人、救われたい人、自分を救う人

そういえばヒッキーが離婚した頃のニュース。今年の3月頃か。

 今月2日に映像作家の紀里谷和明氏(38)と離婚した歌手の宇多田ヒカル(24)が15日発売の音楽誌「MUSICA」で離婚の真相を初告白している。
 超ロングインタビューの後半に、雑誌発売の前に離婚の発表を予告した内容で、離婚を決断した理由について「まあいろいろあるけど(中略)『私はこれでいいんだ』って思っちゃったのが原因かもしれないです」と自己分析。「紀里谷くんが今まで一番私を知ろうとした人なんですよ。凄く考えてくれた人で」と明かし、「(彼は)孤独みたいな私の像を救おうとしてくれた。でも結局、私は救われようとしなかったのかな…。私は自己解決しちゃった部分が大きいんですよ」と説明した。
 さらに母・藤圭子(55)について「凄い距離が遠くて絶対に触れ合えない、みたいな人。(母と)直接関わったって気分はまったくしないんですよ」とファミリーの中で突出した存在だったことを告白。父でプロデューサーの宇多田照實氏(58)についても「この1年くらいで仲良くなれた」。両親が6度も結婚と離婚を繰り返すなど複雑な家庭環境で育った孤独や生い立ち、真実の宇多田ヒカルを垣間見せるインタビューとなっている。

元のインタビューは読んでないけど・・・。


そういやさ、家庭環境が複雑な子ってものすごくものを考えるようになるよね。
私も若干ちっちゃいころ不思議なことになってたんで記憶があるんだけど、
他の子供達が子供子供して、ほんとに幸せそうに脳天気に子供を満喫している横で
毎日大きな悩みを抱えながら過ごしてるわけで。
自分には解決のしようのない悲しみみたいなのをさ。
一緒に扱われて、一緒に遊んでいるのに、他の子達がうらやましいし、遠い。ものすごく遠い。
劣等感、っていうのともまた違うんだけど。。
子供らしい理由で悲しんだり泣いたり怒ったり無視したりしてる友達を見て、
そんなどうでもいいことで悩めていいなあとか思ったり。
ああそんなに素直に笑えていいなあとか思ったり。
そんな感じ。


ただ、今思うと、子供子供した、わがままでやんちゃで天真爛漫な日々を送れなかったことと引き換えに、
そういう人達はそういう人達で何か大事なものを得てるんだろうと思う。
本人の転び方によって武器にも致命傷にもなるだろうけれど。


私の場合は中学に上がる頃にはいろいろと落ち着いてむしろ超順調みたいな
感じになってしまったので、そこから急速に何も考えないようになって、精神年齢が逆行し始めましたが(今に至る)。


あの落差(考えてた時代と考えなくなった時代)はすごい大きかったなあ、今考えると。
あのまま悩める少女だったら今相当マシな人間になってたんじゃないかってくらい。
今でも覚えてるもんね、「ああ私、もう何にも悩まなくていいのか」って気付いた瞬間の情景(家の近所の坂を下っていた)。
あああのときいろんなものを放棄したんだな。
あれ以来孤独とか感じた瞬間が全くないもんな(一人っ子なので1人で居るのは全く孤独じゃない)。
ああそれで日記要らないのか(笑)。


ヒッキーは大変なまま大人になったのかな。
子供のうちから大人になったんだろうなあ。
いい歌をいつもありがとう。


救おうとしてくれる人って大抵はいい人すぎるんだよな。
でも救いって結構暗くてどろっとしてる感じがする。
(追記。思い出した。暗くてどろっとしたのはまやかしでほんと救いみたいなのは毅然としてたかも。)
本人に何かを与えることじゃなくて、本人から何かを手放させることだし、、。
ヒッキーみたいな自己解決ってのもすごいけどね。
時間が解決したのか、本人の中で昇華したのか。