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芸術とエンターテイメントとアイデンティティとレーゾンなんとかと

大学で心理学系(他学)の授業をいくつか取ったとき、
そこの先生達がなんというか奇妙というかちょっと異様だったというかどうーも病んでいた。
まず最初にお前をどうにかしろ、(他人の)話はそれからだ。
と、若き日の私はつい引いてしまったのだけれど、
もしかして(他人を救うんじゃなくて)自分が救われたくて心理学学んだのか、この人達。
と思い至って納得した。


で、落ち着いて自分の周りを見たら、音楽でも絵でも小説でも、どうも、


俺の叫びを聞いてくれ!
私の悲しみを分かって!
僕の苦しみを伝えたい!


というものばっかりだった。


人を癒すために心を込めて弾く音楽家
人を包む為に作品を作る画家、
人を喜ばす為に話を繰り出す作家、


そういう人達よりも、


人に認められる為に念を込める音楽家
自分の憤りをぶつける為に作品を作る画家、
自分を癒すために悲しい話を量産する作家、


そういう人達が目に付いた。



私は、芸術や文学に、そのアーティストや著者の魂の叫びとかあんまり要らなくて、
普通に単純にエンターテイメントとして楽しませてくれる人を尊敬するんだけれど、
どうも世間はそういう人達を「軽く」見ていた。
で、後者の人達を褒めていた。苦悩の表現とか。魂がなんとかとか。複雑さだの精緻さだの。


ふうぅぅーんそういうもんかねーと
ちょっと不服だったけど、
自分が理解できないのだなと思って深入りは諦めた。



でも、サークルでオケやったら、
高校までは単純でつまんないとかバカにしてた(恐れ多すぎ)モーツァルトベートーヴェン
本人達が苦労しようが人生に不満だろうが(知らないけど)、
人を癒して止まない、きちんと人の為を思った
優しい音楽を作っていたんだということが分かって、
ああやっぱりそうだよな、と思った。


それ以来、前者の(俺の叫びを聞いてくれ系の)芸術や物語はスルーしてる。
なんか受容するのが無駄な気がして。


微妙な差なんだろうけどね。
ちゃんとした芸術に昇華されちゃったらわかんないかもしれないし。


でも、きちんと他人の方を向いて作られたものの方が、
結局はそのアーティスト自身を救う気がする(その方が他人に受け入れられるから)。