旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

私のメタはどこにあるか。

いつでも、相手が自分の”メタ”を行ってるかどうか気にしている人がいたら
それはメタの方向が逆を向いていると思う。
そういう人は、相手の裏をかこうとして、相手の心を読もうとして、相手の心理をえぐろうとして、躍起になる。
バカにされないことで頭がいっぱいになる。
相手の先にいること、相手の上位に立つこと。それが”メタ”だと思ってる。
頭の中は、相手相手相手相手相手。
防御に防御を重ね、装飾に装飾を重ね、相手を切り崩していくことに集中しているうちに、それ自体が目的になってしまっているうちに、
その人の自分の方コアはいつしか、全く隠れてしまう。
純粋な心だったり、真摯な思いだったり、ただの小さな願いだったり。
それが、言葉にまみれて、論理にまみれて、どうでもよくなって、疎外されて、
最後には不毛になって、消耗して、何も残らない。


で、そっちの方向にあなたの大好きなメタはない、と思う。


むしろメタは一番のブラックボックス、自分の中にあるんじゃないかな。
突き詰めようとしてもどんどん深くなっていく。
本当はシンプルなはずなのに、そこにたどり着くまでにいろいろと除けなければいけないものがある。
その根本こそが・・”メタ”にあたるものなんじゃないかなと。


自分の本心にどれだけ忠実か。
自分の魂にどれだけ寄り添えるか。
自分の思いをどれだけ誠実に相手に言葉で届けられるか。
そういう方向。そういうベクトル。


それさえ自分で掴んでれば、相手がそれ以上どうやってメタに立てるというんだろう。
自分が根本にいるのに、どうやってそれを相手が上回れるだろう。


自分が相手の上手かどうかなんてどうでもいい。
そんなことより、自分が自分の根本にどれだけ近いか。
そっちが大変。


きっと”本当の”議論をするなら、そこが重要なんだと思うんだよな。
伝えたいかどうか。伝わるかどうか。何が、対話の本当の目的なのか。


ごくたまに、腹が座った人、覚悟を決めた人が
何かの対話に臨んでいるのを見たり読んだりする機会があるけれど、
ディベートみたいな、論理的妥当性競争とは全然違う、
凄みのあるメタがあるような気がしますね。


ま、自分(に関して)じゃ見たことなくて言ってますけど。。