無神経という言葉
自分は人間のカテゴリとして大雑把チームなので、
無神経といわれないかどうかわりと気にして生きてる。
不用意に人を傷つけたくないし。
まあ努力の甲斐あってか、あんまり言われたことはない(思われてるかも)。
ただね、いまどきネット上で結構見るのね「無神経」って言葉。
その中で、すごく悲しい使われ方をしてるときがあるのね(主観)。
まあ、葬式に派手な服で行くとか、そういう社会テンプレ的なものとか、
明らかに文脈がわかるところでそれを無視しているときに「無神経」というのは、それはわかる。
知っててやっていることに対して「無神経」なんだから。
たださあ。
微妙なことを察してないだけで無神経とかさ。
言うほうにとっては自明なんだろうけどさ。
なんていうか、言われればわかるけど、そうじゃなきゃ”善意で”言ってしまいそうだったりやってしまいそうだったりしそうなことを並べて「無神経」とかさ。
そういうの見ると。
文脈知らないだけで「無神経」って・・・
うーん。
だけどねぇ。
そういうの、無神経っていうんじゃないと思うよ。
無知っていうんだよ。
知らないだけだよ。
無神経、と他人のことを言う場合、言うからには本人は繊細なんだと思う。
でもね、繊細ならなおさら、いちばん、無神経って言葉の使い方に気をつけたほうがいいと思う。
たとえ社会的に”自明”のことですら、空気や行間を読めないで苦しんでる人もたくさんいるしね。
無神経って言われて深く傷ついたりね。
そういう意味では、誰だって無神経というか。
とにかくそれは、常識に即した純然たる事実の場合ももちろんたくさんあるけれど、
でも、単なる主観で、冷たい冷たい、断罪の場合もある。
欝で何を言われても傷ついてしまう人もいれば、
アスペルガーとかで文脈を読み損ねて他人に傷ついたって言われて深く悲しい思いをする人もいる。
両方増えてるよね。個人的な感覚だけど。
どちらの人たちに対しても、違う接し方がある。
でもそれは学習しないとわからない。
わからないときはどうしても、たとえ善意でも「無神経」になってしまう。
私も”悪気のない”人の「無神経」にむかつくことは多々あるからもちろん人のことは言えないけど、ただ、
その「無神経」の向こうにどんな心があるのか、どんな思いがあるのか、
せめて余裕のあるときだけでも、気にするようにしたい。