旧 はてブついでに覚書。

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意思の高速道路


今日はクリスマスイブだったけれど、大人たちが酔い宵でバスを待っていたら、
そんな中、高校生と思しき男の子たちが、数学だ理科だっていう話を一生懸命していた。
文系と理系、自分はどっちだ、何々が得意だから、何々には興味ないからetc.と、判定し合っていた。


誰もがする話だ。2年生になると選ぶのよね。私がいた高校はそうだった。


まあ、割り切ってるよね。私もそうだったけど、自分の興味なんてまだわかんないから、
苦手な科目はそのまま、「まあ、向いてないんだろう、俺」ってことで、
苦手じゃないほうを、無難なほうを、点数取れるほうを、向いてるということにして選んでる。


そうやって選んでしまったものが案外、その先の人生を縛るんだなあとしみじみ。
みんなの人生が”一緒に流れて”いる中で立ち止まったり道を変えたりするのって、
結構な意思がないとやれないから、結構な意思がない場合、そのまま行くのよね。
でも所詮、高校生の脳が考えた、割とざっくりした選択なんだよね(笑)。発端はね。
自分も、大した理由はなかったなー。


私は勉強に興味がなくて、まあただ一応流れに乗らないとということで学校行って、
授業はサボりまくりだったり脳内未履修だったりしたので、
実質高校の授業は1/3も聞いてたか怪しいし、家でもほとんど勉強しなかった。
ただただ、仲間とどうでもいいこと語って、楽器やって、遊んだ3年間だった。
だから思うわけじゃないけど、たぶん今、他のことに制約されずに、
あの頃の勉強をするのだったら、1年分を3ヶ月くらいで出来る気がする。
やる意思があれば。勉強する理由があれば。


ただあの頃、私には「意思」がなかった。意思だけが。
まあ、「やらなければならないこと」がいつも目の前にあったので、
それをとりあえず片付けていただけ。流れに乗って。
だけどそれらのほとんどはたぶん、ものすごく効率の悪いやり方だった。
意思がなかったために。それをやる目的も理念もなかったために。


逆に言うと、あの3年間の少なくとも半分を意思探しに費やしても
全く後で取り返せた気がする。
世界を知ること、目的を知ること、意味を考えること、訳を考えること、その中で自分が志向する方向を少し固めること。
その後で選択をすることで、生産性はあがっただろう。何をやるにも。


ウェブが発達し、これからもどんどん学習の高速道路が整備されるのなら、
学び方も多様になるのだろう。多様にならなければおかしい。
仕事でも学習でも、その人のモチベーションが一番上がる方法が一番生産性が高い。
最初に有無を言わさず基礎を叩き込まれる方法で満足できる人もいれば、
やりたいことからさかのぼって自分で必要な知識を身につけるほうが向いている人もいる。


学習するものが目の前にあるとつい学習してしまう、
よく訓練された、私たちの世代くらいまでの人間は、
それがタダとあれば、喜んで学習するだろう。
つい、何でやるのか、を考える前に、条件反射で、焦って(笑)。


ただ、それよりなにより恩恵なのは、
学習以前の、その学習をする「意思」を、
ウェブのおかげで見つけられるようになるのではないかという、その可能性ではないだろうか。


梅田望夫さんの『ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)』は、このウェブという世界がある時代において、
人がどう学び、どう人生を組み立てるか、それが誠実に、考察された本だ。
私はわりと日々ウェブにコミットしている方なので、ウェブでいま「何がやれるか」ということは
梅田さんのブログを通して他、いろいろなサービスに実際に触れることで、体感はしてる。
だからこの本を読んでも、梅田さんの最初の著書であり、世間に衝撃を与えた『ウェブ進化論』のように、
「目新しい!」「わくわくする!」「これはすごい!」と思うことはない。
ただそれだけに、本当にリアルだ。何の虚飾もバズワードもない。


人が「リアルにウェブを使う」ということ。自分の人生の手段とすること。
そこには何のミラクルもないこと。可能性がいくら広がっても、本人が動かなければ意味がないこと。
小さな選択の積み重ねであること。泥臭いアクションの積み重ねであること。
人柄が問われること。誠実さが問われること。
「今までのやり方」よりも厳しいかもしれないこと。でもそれでも人は、好きなことのためなら勤勉になれること。
そしてそれを「夢物語ではない」と信じる人達に向け、
具体的にどんなアクションが取りうるのか、今のウェブでの可能性を一つ一つ検証し、考え抜き、提示してくれた本だ。


その中で、梅田さんはどうしてもたどり着いてしまう、ひとつの結論を示す。


そこに一番大事なのが、意思であること。
つまり、好きなことを、やること。


当たり前だ、と言うだろう。
しかし普通の人にとって、それは奇跡だ。
でも梅田さんは、できるよ、と、あえて言うのだ。
ウェブですら大批判を受けた「好きを貫く」という
その、厳しい提案。


選べる。選べ過ぎる時代が来る。
目の前のものを片付けることに価値がある。子供のうちは、、という幻想が崩れていく。
高校生たちがそろそろ気づき出す。
昔から子供たちは勉強をやらされながら、
「これは、自分に必要なのか?」と問うてきたけれど、
これからの時代は、その答えが本人に、見つかってしまうかもしれない。
大人たちに「いいからやれ」と押さえ込まれる前に。


この本のターゲットには、私(77年生)も入っては、いると思う。
今は過渡期だ。壮大な過渡期。大人たちが価値観を示せず、子供たちが醒めていく。
この本は「真剣に考える人には」内容が多いので、
ちょっと1エントリで紹介は出来ないので内容についてはまた他で触れるとして、
とりあえず読んでほしいのは、あの、「俺は文系だ、理系だ」って話してた高校生、
そして、高校生の頃の理不尽な決定からずっとなにかもやもやし続けてる、私のような大人たち全員だ。


梅田さんはアメリカ在住のせいか、サバイブするとか飯を食うとか、
そういう切実なレベルで語ってくれているけれど、
古きよき時代の価値観で育ってしまった私たちは、
突然そんなにMAXには振り切れない。


とりあえず、梅田さんが提示してくれた「好きを見つける」方法を参考にして、
置き去りにしてきた「意思」に出会おう、そこからリハビリしようよ。
明るくウェブを使おう。それを伝えていこう。
順番なんていいんだよ。取り返しなんてつくんだよ。戻ることも自由だよ。
そういう道具が、システムが出来たんだよ。


そして、よりそういう世界に、持っていけるように。
自分自身があがきながら、且つ、後代を励ます責を負った、大人=社会の当事者として。


ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

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