あなたの世界に足りないものと「自分探し」
前、このエントリ(「仕事を通じて、ダイレクトに社会貢献したい」は甘いか? - はてブついでに覚書。)書いてたら、ブクマや他のところで、下記の書籍を教えていただいた。
- 作者: 速水健朗
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
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自分探し、キャッチーでいい言葉ですよね。
私は好きですよ。愚直にガチで探してる人しか信じないくらい(笑)。
というか、一言「自分探し」というと人それぞれに全員定義が違うくらい、面白い言葉よね。
自分とは何かを分かっていてそれを探しているのか、
自分を定義しようとしているのか、
そもそも自分とは?を考えているのか、
それだけでも全然次元が違うっていうね。
は、いいのだ、さておき、
私はどちらかというと、経済そのものが怖かった。モチベーションも全く起こらなかったし、お金はほしいけど、いざ分厚いリクルート雑誌を見ても、ひとつも興味が湧かなかった(まあこれも今も一緒か)。
まあだからって社会貢献って言われてもそれもそんなに興味ないんだけど(おい)、ゼロからプラスに持っていく(世の中に何かを生み出す)よりはマイナスからゼロに持っていく(世の中の足りないものを埋める)ほうがまだ”何をやらなきゃいけないか”が明確なわけで、少しはやる意味も見出せるってもんだろう。
とか自分で書いていて、あの時からちょっとひっかかってる。
特に最後の3行くらい。
福祉や環境といわれるものが、なぜ「役に立つ(社会に貢献している)」といえるのかというと、
みんなの頭の中にざっくりこうあるべきという「基準」や「水準」があって、
それに達していないという認識があるから。
それを「基準」や「水準」に引き上げねばならない、と誰もが思うから。
何かの不足、何かの不備、何かの不満、何かの不幸。
私達がそういう感覚を持つものが現前しており、それを「改善」するならすなわち、「役に立つ」。
人間の尊厳としてこうあるべきだろう、という基準が、
社会生活を通して私達の脳内にざっくりイメージできているから、
「やらなければいけないこと」が明確で、やる意義も明確なのだよね。
(まあ、勘違いも多いけど、そこはすり合わせで^^;)
昔は、第一次産業、第二次産業というのがそういう、
確実に必要で、役に立つものとして意義があった。
それらが明らかに「不足」していたから。
でももう私達の時代のこの国は、食べ物がないわけでも物がないわけでもないから、
だんだんサービス産業である第三次産業の比重も高まるね、
と教科書にさんざん書いてあったとおりの世の中になっている。
第三次産業というのはきつくて、
案外簡単に「不足」が見つからない。
やんなくていいんじゃないの?というサービスも多い。
「付加価値」っていうけど、何を付加すりゃいいの、こんなに充足した世の中で、、。
そんな中、「不足」が光り輝いているのが、福祉や行政かなと思う。
自分は人生で特に不足を感じていない。
しかし他所には不足がある。よし。じゃあそれを埋めよう。
これは自然な思考だと思う。
一方、「不足」ではなく「付加価値」のほうを目指す若者は、結構辛い。
さて、世の中に必要とされているものは・・・
そして何より、私は世の中に必要とされているの、か、と、なる。かな。
何が意義があるのか?
金?金は大事だ?でもそれだけ?意義のあるもなじゃなきゃ。意味のあるものじゃなきゃ。私の仕事に価値がなくっちゃ。私に価値がなくっちゃ・・
じゃあ、役立たなくてもいい。そういう視点じゃなくて「自分のやりたいことを」やろう。うんそうだ。よし。で、え、自分って何考えてるの?何やりたいの?何の能力があるの?何に向いてるの?
・・・自分ってそもそもどういう人間なの?
どう見ても自分探しです。本当にありがとうございました。
と、まあ、現代の若者のアイデンティティ的な部分ははいろいろ大変なわけです。
私の頃はそれでも就職氷河期ど真ん中で、モチベーションもないのもあったんですがまず選べるという状態が存在しなかったため、自分探しどころじゃなくその点楽だったんですが、景気良くなるとまたそういうことをやる余裕が出てきてしまって大変だと思います。
あと定年後の人たちとかもね。
私も自分に関しては分かりません。ただ、一つ思うことがある。
それは、あなたが「不足」だと思うものと私が「不足」だと思うものが同じか?
ということ。
私達が全員福祉の職に就くわけにいかないから、
そういう社会的に自明の「不足」に頼るわけにもいかない。
かといってまだ定義されていない「付加価値」だと自分探し地獄が待っている。
しかし、与えられた「不足」ではなく、
私の主観が今現在「不足」だと思うものは何だろう。
私の世界に足りないものは。私がこうだったらいいなと思うものは。
・・私はよく、自分の欲しいものはみんなも欲しい、自分の興味を持ってるものはみんなも興味持っていると思っていたら
私しか盛り上がってなかった、ということがあるんですが、
それの社会認識版というか。。
そういうのがね、それぞれの人の属性に備わっているような気がするんでございます。
たぶんそれは私の中に既にあるし、
あなたの中にも既にあるし、
埋められるのを待っている。そんな感じ。
私がこうあって当然と思っているものと、
あなたがこうあってほしいと思っている社会はちょっとずれてる。
もしかして、私しか重要だと思ってなかったり、あなたしか気づかなかったりすることがある。
でもその「不足」が埋められた時、他の人もそこに「不足が存在していた」ことに気づく(と同時にそれが埋められたことを知る)。
大それたことじゃなくて、小さなことなんだけど、
それぞれが、外のイデオロギーや流行に惑わされることなく、
デフォルトの魂(?)で感じる「不足感」に気づいてケアできた時に、
半径何人かが幸せになる。
案外そんなところに「自分」や「意味」を感じるんじゃないか。
私程度の脳だと、そんなことを思います。
私の素敵な世界(のイデアw)に足りないものは何?
そんなことが私の最近の「自分探し」です。
付加価値探しより楽だし、お金がかからなくていいよ(笑)。