旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

テンプレと天然のあいだ

私は説教されるのは好きなんだけど、
私にリアルで「女とは」「母とは」を説教してくれた
大人の女性の方々は、
ほぼ全員テンプレ依存に見えた。
世代が固まってるわけでもなかった。
そういうことを説教したい人、っていうのはキャラが似ているのだみんな。
自分だって自分が語ってることに最初は反発覚えただろうに、
いつの間にかその抑圧をしっかり内面化してる。
「役割」についてはあれだけ語れるのに、
私に一つも、彼女達の人間性そのものへの尊敬は覚えさせなかった人たち。
ちょっと突っ込むと、5倍の逆ギレが返ってくる人たち。
お疲れ様です、という心からのねぎらいを込めて、素直に聞きつつ内容はスルーした。
そんなものを自分が引き受けたり、
あまつさえ次の世代に渡したりなどしたらいけない。
ごめんね。そこは断ち切らないと。
そういうことが出来る時代に生きる責任として。
それとは別に、尊敬できる部分があったら語られずともしっかり受け取るしね:-P。


そういや、そんなんどうでもいい、というかそういう役割意識的なものが希薄な、
朗らかな視点の人が1人だけいて、
それはうちの母だ。今65歳くらい?
女とは、母とは、なんて一度も語ったことがない、語ろうという発想すらない人。
いい人、とかじゃなくて、ユニークというか、変な人。世間的には。
まあ娘から見ても結構変。
世代としてはいろいろ大変だったと思うけど、
そもそもテンプレや抑圧の感知センサーがないというお得な性格なので、うまくすり抜けたらしい。
どっかで頭打ったのかしら、と心配になるくらいいまいち自意識が薄い人。
承認欲求なにそれおいしいのって世界に生きてる人。
優しくて、かわいげがあるくらいには愚かで、適当な人。
でもなんか妙に安定感があって、しっかりしてる人。
辛いことはいろいろあったようだけど、それを恨む語彙が貧弱な人。
ごはんおいしいと幸せな人。
まあ私もいろいろ振り回された気はするし、
母のようになりたい、とは微塵も思ったことはないけれど、
でも好き。
これからもそのノリで、幸せそうに、自由に生きてくれればいいや。
と思う。ほんと。


私はといえば、テンプレを内面化したチームともどうも違うし、
うちの母のような天然の、いい感じに突き抜けたスルー感はないし、
かといってテンプレをそのまま演じられる高機能AI(もしくはホラー)チームでもない。
特に信条というか、主義があるわけでもないし、
まあ、良くも悪くも、いたって平凡で、普通。
と、自分では思う。
昔は相当こじれてた部分もあったけど、こじれると損なので、
そこはがんばって解いて、
今はそんなにわざわざこじれないし。


はたして私は、マトリクスの外にいられているのでしょうか、中におるのでしょうか。


その辺はまだまだこれからなんだろうなあ。
わかってくるのは。
テンプレと天然の間はえらいレンジが広くて立ち居地が一瞬一瞬難しいですね。
まだまだいろいろ問いながら、囚われ的なサムシングを発見する実験を重ねていかないと。
ガチの自分を獲得するには、まだまだわからないことが多いなあ。
と感じる今日この頃です。
まあ社会的な文脈を離れて私の自由な個性などありえないけれど、
その認知様式のルール内であっても、多少はfixしたいなあ。というか、思い出したいわー。