どこまでを自己と認識する社会なのか。

自分の物理的な(自分以外のものとの)境界というのはこの身ひとつなわけだけど、
社会的に、概念的に、どこまでを「自己」とするかは、
人は適宜決めている。
学問的にどういう言い方をするのか知らないけど、
精神は自由であるので、「自己」というその定義を、
自分の物理的な境界を越えて、他者や家族や組織やコミュニティに
結構フレキシブルに拡張している。


自己の拡張、というと説明しづらいので、もうちょい大きい、
家族という概念の拡張について例をいうと、
いわゆる血の繋がっていたり戸籍が繋がっている家族以外に
ある部族が丸ごと大家族という認識だったり、
田舎のある地域が家族同然だったり、
社員はみんな家族だという認識の社長がいたり。


人がほかの人を単なる他人ではなく「家族」という認識をした場合に
何が起こるかというと、
まず心を許す。
親しき仲にも礼儀ありなんて恐ろしい心の構えがなくなる。
損得の勘定をそう厳しく適用しなくなる。
契約や取引ではなく、信頼や合意で物事を進める。
相手の繁栄を素直に喜び願うようになる。
困っていたら「当然」助ける。
家族としての最適化のために個人の希望を抑えてもそれで損したとは思わない。
(そういう家族ばかりじゃないぞというのは別の話でw)
などなど。


家族っていうか、、まあ仲間でもいいけど、
あ、身内という言い方をするか。私たちはよく。
とにかく身内認定した間柄は、こういうゆるい安心するゾーンになる。


まあそうやって心の中の社会の地図に
適当に囲みを作って人を放り込んで、
あるゾーンには心を許したり他に対しては引きしめたりと、
身体の感覚を変えている。


ところで、身内認識というのはわりと双方向性がある。
自分個人で定義を作っているわけでもない。
というか、自分一人で宣言してもそれが相手に承認されないと
単なる勘違いの人みたいになるので、
身内っていうのはだいたい、その構成員の共通認識みたいな感じ。


さて、狭いのに戻って、自己認識。
これはその人個人が好きに調整できる。
いや、基本的に自分以外は他人なんだけどさ。
なんていうかうーんと。


こういうの、私事でしか説明できないんだけど、
たとえば私は自分の夫を自分認識している。結婚したその時から。
夫は自分であるという身体感覚。
なにか成功すれば自分の得であるから嬉しいし、
失敗すれば自分が痛い気分になる。
子供がいる人は、子供まで自己認識になったりするんだろう。
お母さんとか、特にそうだよね。「まるで自分のことのように」っていうか、
自分なんだろうね、子供。


あと私の場合は夫の両親とも暮らしているから、夫の両親も自分。
何かあれば自分ごとなので全力でどうにかするし、
普段は自分ごとなので平気で頼っているw
何かをしても自分に対してしてるだけなので貸し借りの感覚はないし、
何かしてもらっても自分なので干渉という概念は全くない。
あーでもこっちの両親の場合は自分というより、家族に近いか。
自分の両親と同じゾーンか。
まあ私の場合自分相手と家族相手にあんまり差異はないけど。。


自分認識した相手に対してというのは、
身内認識した相手に対してよりもより垣根がない。
なんせ自分なんだから。
他人だと思えばイラっとするようなことも、
自分じゃしょうがない。
他人なら自己責任でどうにかしてと思うことも、
自分じゃ自分でどうにかするしかない。




他の人がどのくらいの「自己」の身体感覚を持っているのかなというのは
最近どうも気になる。
たとえばウェブ上だと、オープンに気楽にやれている人もいれば、
いろいろな関わりや情報に制限を設けて自己を守るのに苦労している人もいる。
想像だけど、前者はわりと「自己」をウェブという場に埋没させて自由に泳がせている。
後者はもともとあった「自己」の形が変わらないように、ウェブの多様性の中で絶えず気を付けている。


リアルの場でももちろん多種多様。
他人に対して何かする、物をあげる、失敗を許容するetc.と、大体において他人に対してと自分に対しての態度が変わらない人、
特定の人に対しては全開放で他の人に対しては警戒する人、
ほぼ誰に対してもあの人はああだ、この人はああだと自分との差異を確認する人。


どっちがどうというわけでもないけれど。
たとえば、贈与や取引や契約や、喧嘩や訴訟やそういうものは、
お互い他者認定した間柄で行われる。
いちいち結構めんどくさい。


いやさ、このエントリ読んで考えたんだけど、


まあ一人休んだくらいでアウトなバックアップがない会社の組織も組織だけど、一人倒れたくらいでアウトなバックアップがない家庭も結構きついなと。
ああ核家族ってこういうことなのかと。


会社の方もさ、みんなファミリー、みたいな気分でいる会社なら、
その一員の家族が病気なら助けようと思うじゃん。
人員的にいっぱいいっぱいでそんな気分にはとてもなれないような会社多いんだろうなと。


うまく言えないんだけど、「自分」認識が狭いと、
周りが全員完全な「他人」になっちゃうから、
いちいち関係に取引が発生して多大なコミュニケーションコストだよね。
でもだからといってそれを避けると一人しかいない「自分」が倒れた時に、
バックアップゼロだよね。
金で解決という方法はあるけど。


ヒッピーみたいなコミュニティを志向するあれは全然ないし、
昔の田舎のような鬱陶しい強固なコミュニティがいいとも思わない。
ただ、どうもこう、もう少し自分を拡張してもいいと思うなあ。


「自分」が自分だけだと、結構生き辛い。
よねぇ?