小林秀雄対話集 直観を磨くもの 読書メモ
- 作者: 小林秀雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/12/24
- メディア: 文庫
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小林秀雄さん、もちろんお名前や教養人だったり評論家だったりって属性知ってますけれども、本当に一作も読んだことがなくてですね。対談集から読むのはどうなのと思ったけど、この自己啓発的なタイトルに釣られて読むことにしました。
なんか面白かったです。
で済ますと一つも覚えていないだろうと思うので、もう一度読みがてら感想を残そうかと。
多分こういう本、意識高い人しか読まないと思うんですよ。
底辺が読むとこうなる、みたいな感想だってあってもいいじゃない。要らないよね知ってる。まあ自分のメモです。
このエントリに、しばらく一対話ずつのんびり書き足していきたいです。
三木清「実験的精神」(1941年8月『文藝』掲載)
哲学者の方だそうです(存じ上げずごめんなさい)。
怒られるかなあ、戦時中に対談とかするんだ!しかもパスカルの話とか!っていうのにまず驚いた。すみません。
うーんイメージ出来ない。第二次世界大戦というものをもっと実感を持って知りたいなあとまず思ってしまった。
実感以前に表面的な歴史も知らないんであれですが。
パスカルには物事を原始的に考える実験的精神があって、というような話から、本を読むことが学問であるとするかのような教養主義の批判へ。
その対象に向かっているのは自分であると。そして自分の境遇は、立場は。その特殊性は。
そして誰かの本を下地に論ずるのではなく自分が事実にきちんと向き合うべきだ、というような話。
じゃあ実際どうやるの?と聞いてみたい気もするけど言いたいことが分かるには分かる。
でもさ、自分より頭がいい人がどうせ過去に一生懸命考えてるじゃない、と思うと本読んだほうが早いというか、それでいいじゃんみたいになるんだよね。
もしくは1,000冊読んでから自分の考えを考えようみたいな。車輪の再発明は要らないわけですし。
……なんてことをやっているうちに寿命が来ちゃうんでしょうねえとしみじみしてしまった。
でも、そうね、自分の個性で学問をやるっていうのはいいかもしれないね(特に文系)。
結局後の人は、その人の解釈なりものの見方を、時代や文化を含めたその人自身との対比で見るわけですよね。
「この人にはこう見えた」と。
それでいいんだなあとちょっと思った。
何かを論ずるにしてもつい「多くの人の支持」や「普遍」とか「共通見解」になるのを求めるものだけれども、
そんな、八方美人な、もしくは網羅的な解釈がどれほどの価値があるかというと。
そんなものは思想ではなくて人間まとめサイトなのかもしれない。
偏ろうがバカだろうがとにかく俺は、俺のスペックと俺の価値観で今物事が、こう、見えてる、という個人的体系が一本筋通って出来てるほうが、後々に寄与しそう。
人には見えてるものしか見えないけれども、どういうものしか見えない人であったのかという個性さえはっきりしてれば、後の人はその偏りを補正して解析できるものね。
あとは、「これ一つ書いて了えば死んでもいい」と思うような気持ちでものを書かないと、という話とか、ディアレクティック(弁証法)批判とか。
対話だけあって論点がいくつか平行してて、断片はみんな面白いんだけど突き詰めているわけでもないのでむずがゆい(笑)。
ヘーゲルを逆(作り上げられた体系)から読んで理解するのは違うんじゃないのみたいなことを小林さんが言ったり。おおお同意である。
こういう意見があってこういう意見に否定されて最終的にこういう見解になりました、とか、そんな死んだ説明は思想じゃねえよみたいな(そこまでは言ってない)。
これ一つ書いて了えば……は、三木さんはこの対談の四年後に投獄され獄死されたそうなので、こんなに清らかに大きく穏やかにものを見ていた知性が、戦争の中で弾圧されて死んでいくというのがリアルに実感されて、すごく悲しくなった。
(2014/04/12)