創造的な消費者。
最近はてブコメント自体が面白いなあ(はてブのメタブもあるくらいで)と思う。
ただコンテンツを消費するだけじゃなくて、クリエイティビティがあるよね。。。
ただ、”総表現社会”とはいえ、みんなが一次情報を出すのはつらい。
最近の私たちが求めているのは、単なる情報じゃなくて、「ネタとして再利用出来るコンテンツ」なのかも。
単なる消費じゃなくて、創造的な消費。言葉にするとちょっとパラドキシカルだけど、、。
消費者の二次利用を狙ったコンテンツ制作というと、
小室哲哉さんがカラオケで盛り上がりやすい曲を作ってミリオンを連発したのが浮かんでくるけれど、
今だと、それのパロディを作ったり編曲したりして自分も同じステージに上がる感じですかね。。
2006年の現在ではまだ、情報財の交換そのものが利益を生むような工夫(DRMなど)がいくつか試みられている。しかし、デジタル情報の本質上、その徹底には無理がある。すべての情報がデジタル化された世界では、ひとびとは情報に対しては金を払わないか、あるいは払うとしてもきわめて小額になるだろう。では利益はどこから生み出されるかと言えば、「その情報を使ってだれがコミュニケーションをしているか」という物理的な現実からというわけだ。この図式はとても説得力がある。
(中略)
その意味するところは、おそらく、クリエイターの「地主」化、コンテンツ産業の「デベロッパー」化である。
なるほどなぁ、、、。
土地の例えが私のような頭だと分かり易いような分かりにくいようななんだけど、
つまりはクリエイターの作品が作品としてそのまま対価を受け取るんじゃなくて、
コミュニティなりの場の「素材」として扱われ、その権利料としてクリエイターにお金が行く感じかなあ。
もちろん、クリエイターにとっては「何か違う」って事になるんだろうけれど。
でも、悪い事じゃない気もする。
ぶっちゃけ人って、消費するより創造する方が楽しいもの。
大学時代オケやってたけど、ウィーンフィル聴こうがベルリンフィル聴こうが、
そりゃあもちろん大感動するけれども、
アマチュア仲間とへったくそな合奏、やってたほうが楽しかったりするもんなあ。。
みんなが創造(もしくは創造的な消費)にお金を払うようになったら、
それはそれで健全なんじゃない?
ITmedia News:SNSやブログ、「勝ち組・負け組」の分かれ目は
(2)双方向参加型のアーキテクチャ
音楽に関するオピニオンリーダーが重要だからといって、音楽係SNSが成功している訳ではなく、むしろ苦戦しているものも多いのが現状です。ネットワーク外部性を引き出すには、発信者と受信者の境目はあいまいで頻繁に入れ替わる、双方向参加型のアーキテクチャが必要ですが、音楽系のSNSは、音楽の作者(発信者)と受信者が完全に別れているものが多く、ネットワーク外部性を引き出しにくくなっていると考えられます。
発信者と受信者が分かれていられたのは、
「芸能界とテレビ」とか、「文壇と出版社」とか、
業界がクリエイターと消費者を頑張って隔離する事で
その格差でお金を稼ぐ仕組みを作っていたからだけれども、
そういう垣根が、webによって案外さくっと超えられてしまうのなら、
そりゃあ超えたいでしょう。今までの消費者は。
誰だってほんとは消費するばっかの人生なんて嫌なんだってば!
ところでよくわかんないんだけど、
消費されてるのって、
コンテンツ?情報?創作物?芸術?
私はミリオン連発してた頃の小室さんの楽曲が好きだ。
ただ売れてるってだけでバカにしてた人も多かったかもしれないけど、
普通に芸術的だったと思う。
かといって、寡作なアーティスト然とした人が小室さんよりいい曲作ってたわけでもないし。
そういう人がうんうんうなって1年かけて曲作ってた間に、
素晴らしい曲がぽこぽこ出来ちゃってただけでしょう。
・・本当の芸術は経済システムが何であろうと素晴らしいし、
プロとしてステージに立つ人は作品だけでなく、生きる姿勢も存在も違う。
そういう人達は、その名においてお金をもらう。
私たちも、その名に払う。
そこまでたどり着けない場合は、うーん、何て言うかな、
ウェルカムto搾取される(笑)労働者の世界へ、クリエイター様。
結局の所、私が事務仕事をするのと同じ価値だっだんだね君も、ってことで、だめなのかなあ。
ん、よくわかんなくなった。
また考えよ。
とりあえずさ、私が平凡な事務仕事を全然搾取だなんて思っていないように、
消費されることはクリエイターの尊厳は傷つけないよ。たぶんね。