旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

組織としての学習の枠組み

自分の勉強方法や、他人の学習意欲といった
個人個人についてはよく知ることが出来るけれど、
組織としての学習能力って私はあんまり気にしたことがなかった。


学習っていうと、知らないことを知るのはもちろんだけど、
取り組むのか取り組まないのか、
耳の痛い意見もきちんとお腹に落とせるのか、
先延ばししないかどうか、
前例がなくても変更の必要があれば対応できるか、
よりどん欲に他人の意見を採り入れられるか、
逆に自分の個性を生かす方法を知っているか、
とかとか。
メタ認知だっけ、メタ学習だっけ、
学習というのは、そもそも自分がどうやれば学習するのかというのと2つの次元のセット。


今、自分が属している組織の中の一つで
組織自体を変えようとしていて、
外部の識者から色々意見を聞いているんだけれど、


いいことを言ってもらっても、
採り入れるかどうか、もしくはどう採り入れるかっていうのが
組織の(学習)能力にかかってるんだなあと
ちょっと痛感した。


組織の外部の人の意見というのはたいてい、
その組織とは違った価値観や枠組みに立っているものだけれど、
その枠組み自体を採決するかどうかが大事なのに、
その意見の上澄みだけすくって、
自分たちのパラダイムは全く変えずに都合のいいようにくっつけて
それで何か変わった気になったりとか、
その意見が正しいと組織内部の人間が思っていても、
癇癪おこしそうな上の方の人間の顔が何人も浮かんできて、
「ああ、、でもいろいろと難しいですよね、、、」って思考停止したり。


組織も、分解すれば人の集まりだけれど、
やっぱり群れると、どの個人とも違う”意志”みたいなものを持つ。
まあ、もちろん上の方の個人の個性が一番反映されるけど、、。


今の組織は、ゆっくり働きかけていけば、
どうにか根本から変わる事が出来ると思う。
と思ってみんな動き始めた。
(その過程で癇癪系はご引退頂く段取り)


ただ、内部からだんだん変えてくのって、
すごい時間かかる。
これが、変わる事に対してもっと合理的にラディカルに対応出来る組織だったら
時間がすごく短縮出来るし、進化も早かったと思う。


なんていうか、
これから何か組織に属したり、
自分が組織を作ったりするときは、
その組織の”今”がどれだけ素晴らしいかということももちろんだけど、
その組織に学習能力があるか、
つまり、変化をそもそも前提にしているかどうかを、
気にしようと思った。


間違ったところに(しかも後から)入ると、
結構人生の無駄かも。