旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

内にこもる誘惑

web2.0とかフラット化する社会とか言われていた頃に(この言葉達は今も好きだな)、私がイメージしていたのは、コロニーがたくさん出来るなあ、だった。
好きなことや境遇が似てる人達の塊が平面上に無数に存在してそれぞれ好きなところと線で繋がっている感じ。

多様な情報にあふれるウェブで感じるのはほんと、
人間嫌いなことやってる時間ってないのね。
やりたくないことやってる時間がない。
苦手なことができるようになってもそれで儲かりはしないしね。
苦手なことは誰かが得意で、
嫌いなことは誰かが好きなのね。
安心してみんな自分の好きな方法で社会に貢献すればいいし、
趣味に走ればいい。


(中略)


まあ、来年どうなるかはわかりませんが、


みんな好きなことやりなー。


そして他人に、好きなことを許しなー。

2008年年末のPOSTっぽい。遠いような変わってないような。
基本的にはずっと同じこと思ってはいます。
オールマイティーとかユーティリティーが楽しいって人はいいんだけど、そうじゃない人は全部を頑張らなくていいんではないか、と。


ただ最近は、あんまり世界が狭いのもどうかとは思いました。
新聞を読まなくなって2年くらいなのだけれど、さすがに知りたい情報しか入ってこないね。てか殆ど知らないね!大人として威張ることじゃないけども。
昔はリアルとウェブで世界が別れていて、ウェブの人達はそれでもリアルより広く(深くは無理だな)モノを知っている、という自負が見えたりなどもしたのだけれど、
こうまで情報発信&受け取りツールが充実して、Twitterもすっかりキャズム超え(この言葉自体なつい)して、読みたいコンテンツを消化しているだけで一日なんて足りない。


もちろん、好きなことに集中するのはいいことで、好きなことを極めることで、そこから見えてくるものはあるのだけれど。
(全ての山の中腹までしか登ったことない人より、一つの山の頂上まで登った人のほうが他の山やその頂上との交流はしやすかろう)


で、まあ、どこに戻るかというと教養ですよ、か?
うーんそれも何かな。いや、必要だし欲しいけれども。


ところで最近ログが楽しい。ライフログ
少し前まではTwitterとかFacebookに載せるのが楽しかったんですよ。
これ美味しかった―とかこれ綺麗!とか。
今もそれは楽しいんだけど、一番楽しいのは自分だけで楽しむログだと最近しみじみ思う。
UP用に角度加減して接写した美味しい食べ物の写真じゃなくて、食卓のテーブル丸ごと撮った雑多な感じの適当なスナップやら、
「出社した」とか「寝る」とかの行動記録やら。
他人には当然どうでもいいし、自分で見返しても心底どうでもいいんだけど、なんか楽しい。
自分というコンテンツを一日一日、過去に縫い付けている感じ。


別に、総括も解釈もしないけれども。
ああ、一応生きてたわこの人。生きてなんかやってたわ、と思う。


この楽しさはなんだろうなと。
ネットという同じツールを使っていながら、誰とも繋がっていない場所があるのが嬉しいんかね。


そんなことをやっていると、自分のログか、自分の興味あることか、にしかウェブを使わなくなって、良くないなあでも楽しいなあと、そんな板挟みなこの頃です。
別に悩んでるほどではないけれど。


アメリカの田舎に住んでたりするとこうなんだろうなーと想像する。
テレビ局が数百チャンネルから選べて、ニュースは周りの人の解釈を通して入ってきて、
自分が繋がってる人だけの価値観で自分が安心して暮らしている感じ。
温くて、温かくて、多様性がないから死ぬときは全員で死ぬ感じ。


と、ここまで書いて分かった。
なるほど、自分の居心地のいい、に特化したコロニーに私が居着いたとして、
その多様性のなさ故にある日やってきた一つの病原菌に対して全く耐性がなかったとして、
ああ、その時は死ねばいいのか。


コロニー一つ消えたところで世界にとっては単に淘汰の過程。
適者生存、それ以外の方お疲れ様でした!


なるほど死にたくない人は、世界を俯瞰するわけだ。
自分(達)をなるべく外から、外から判断する。
国外へ目を向け、歴史を学び、広く、遠く未来を見通そうとする。


ああそっちがいいなあ、いいんだろうなあ、と思う。死なないためには。
しかし、内にこもる誘惑ほど魅力的ではない。
なぜだろう。


守りたいものがないからかなあ。
自分は子供がいないからか、そこは弱いかも知れない、と思う。
守りたいものがあればきっと、私はもっと外を見るよね。敵を見極めるよね。
死んだら死んだで、とか言ってられないし。
どうかな。
夫?彼は生きるだろう。私が死んだら彼は生きるし、彼が死ぬ世界では多分私は生き残る。
特にどっちかが残ってもその後の世界に意味はないけれども。


ハリウッド映画ではよく、地球で争っていた国々が宇宙からの侵略に対しては力を合わせて戦う。
(ただし独立を宣言するのはアメリカ大統領に限る。ただしイケメンに限るみたいなのと一緒。)
どの国にとってもさすがに地球自体無くなるのはアウトだからなあ。


そういうノリで、いやあんたんところのコロニーもやばいで、とお互いに危機を共有出来たり、
共通の希望―大きめの物語―を持てるといいのかもしれない。


しかしまあ、ハリウッドの脚本家のように、そうやって物語を作って色んなコロニーを連帯させていく人達もまた、
そういうのが好きでたまらない人達のコロニー(ギルド)を作って作戦を練ってくれていることでしょう。
いやあ彼ら、早くアトラクティブな物語をプレゼンして私の目を外に向けさせて!
なんか多分、気付いたら死んでそうこのままだと(いやそれはそれで幸せかもしれんけれども)!