『ウェブ人間論』感想(3)同じウェブを見ている?
自分の興味のあることを誰にも邪魔されず、芋づる式にたどっていけるウェブ。
私達は、立場によって、趣味によって、興味によって、環境によって、心境によって、全然違うものを見ている。
リアルと違って、自分が望む場所にいつでも、いくらでもいけるはずなのに、いや、いけるからこそ、自分が一番居心地がいい(自分に最適であるとは限らない)場所にいる。
梅田さんと平野さんの見てるウェブは違う。費やす時間も費やす場所も違う。
梅田さんはウェブの構造を見てる。平野さんはウェブ内の個を見てる。
でも知のレベルが二人とも高いので、場所は違っても同じ次元を共有してる。
たとえば二人は、たぶん2ちゃんに長々とはまったりはしてないし、mixi中毒でもないし、
ケータイゲームと見ず知らずの人との「眠いよー」「私もー」レベルのコミュニケーションに1日3時間も浪費したりとかしないし、
場末で延々罵倒コメントの応酬とかしてないし、
ちょっと儲けた人が次に儲けたい人をターゲットにする連鎖が延々続いてるような情報商材とか買っちゃったりしないし、
ウェブだけで物事を分かった気にならないでちゃんと一次情報から知を積み上げるだろうし、
知る者は言わず、言うものは知らずということを知っているし、
議論する意味のある相手としか議論しないだろうし、
日本だけじゃなくて海外のウェブも普通に読めるから日本を相対化する視点を持ってるし、
ウェブに対してもリアルに対してもきちんとフィードバックを返してくれる、きちんと知的充足をしあえるような仲間をリアルでたくさん持っているだろうし、
自分の社会における役割や目的や目標が明確で、ウェブもあくまでその実現の手段として捉えられるだろうし、
そういう目的に沿った自己管理も出来るだろうし、
発信したいものを持ってるから、情報の消費だけでウェブをやり過ごすことはないし、
それこそ玉石混合の、石に引っかかって時間を浪費するような愚かなことはしなし、
かといってそれらを完全に避けるのではなく、”文化の理解”という観点から適度に触ったりする度量も持ってる。
だろうと思う。
しかし、誰もがそこにいるわけじゃない。
私もそういう・・効率的な?・・ウェブ界にいたいとは思うけど、
ウェブには私を”知能の低いままに””金と時間を無為に浪費しつづけるように”する装置というか罠がたくさん張り巡らされていて、ついついついつい引っかかる。
そういうのを判別する、知識も教養も足りないからしょうがないということだ。
情報の海に飲まれて、要るものも判らなければ、要らないものも判らない。
つまり、自分が判らない。
まあこれは・・・ウェブに限った話ではないけれど。
ただ、ウェブの方が自由なんだから、ここにいなくたっていいのにね、という。
『ウェブ進化論』でも書いてあったけど、梅田さんは三層に分離してく、と言ってる。
僕はネットによってこの社会が三層に分離していくと考えていて、要するに、今までの「エリート対大衆」みたいな二層の間に、十人に一人くらいの層というのを置いて考えてみたいと思っています。あまり今までは表現をしてこなかったけど、「中学や高校のクラスの上から五人」とか「親戚という小さなコミュニティで一番敬意を持たれている人」とか、その辺の層に僕は一番期待してるんです。潜在的な能力が高いけれど、ただ今は社会的に埋没しているという人も結構たくさん世の中にはいて、特に日本社会にはそういう人たちが浮上するメカニズムがない。彼ら彼女らがネットでそれぞれなりに筋の通ったことを言えば、世の中はずいぶんよくなっていくのではないでしょうか。(p49)
確かに、真ん中の、橋渡し?をしてくれる、言葉の通じないところを翻訳し、上に対しても下に対しても目を開かせてくれるような人たちが、十人に一人の割合でウェブに住んでいてくれたら、自分が自分の嗜好だけで無為にさまよってる間にふっと出合って、ああいけないいけない、とちょっと心を戻せたりするだろうな。軌道修正したりとか。
それでも、個人個人が見ているウェブは、個人個人の内面を忠実に反映したものであるんだろう。
個の中にそれぞれのリアル世界の表象が存在するのと同じように、個の中にそれぞれのウェブがある。
えっらい荒んでたりとか。逆にすごい充足したりとか。
ただ、そのウェブのあり方を、自分自身で選んだり、創り出すのもOKなんだよ、ってところが、
リアルに比べて数百倍も自由な可能性の中で出来ることが、
私がウェブ性善説を信じる根拠なんだと思う。
人間自体の性善説を信じる信じないじゃなくて、
ただ、これだけ自由なのに、
自分が不自由で辛くなるような環境をわざわざ自分で創り出すわけないじゃん、という、
人間の理性や合理性を信じてる。
私達にはウェブを選ぶ自由があるんだよねー・・って当たり前なんだけど。
(リアルにもあるんだけどさ、作用がのんびりな上にちょっとだからそっちは)
オープンで何か他人から飛んでくるのを恐れるよりは、
オープンで何を自分が作用できるかを楽しみたいもんです。みんなで。