ウェブと無知の知
私が知らないことを教えてくれる検索エンジンはないかな。
あなたは何々について分かっていませんよ、と教えてくれるウェブ。
あなたにはこれが欠落していますよ、と指摘してくれるウェブ。
知らないことということは、知らないということも知らないことだから、
私の中で、存在が認識されていないので、検索のしようがない。
もちろん自力で無知に気づく機会は毎日無数にあるし、
自分の無知に意識的でいれば結構拾えるとは思うけれども。
ちょっと変なたとえだけれど(細かい突っ込み禁止)、
今自分にあるなけなしの知と現実との関係で、
逆と裏には出会えても、対偶に出会うのは難しい。
私の知がこうなら、現実はこうである(命題)。
現実がこうなら、私の知もこうである(逆)。
私の知がこうでないなら、現実もこうでない(裏)。
上のみっつなら把握している。
自分が把握している知と存在の間に作用があるからだ。
(逆と裏が真かどうかはともかくとして)
でも、
現実がこうでないなら、私の知もこうでない(対偶)。
に自力で気づくことは可能か?
もちろん命題が真なら、対偶は真、ということなので、
自分の認識=存在として私は世の中を過ごしているけれど、
ほんとうに対偶が真かどうかを、確かめていないので不安が残る。
そもそも命題が真なのかどうか。
現実が、現在の私の知が把握しているものと違うのなら、
それを知の内部にいる私が気づくことが出来るのか?
その辺をブレイクスルーと呼ぶのだろうと思う。
コペルニクス的転回(©カント)でもいいけど。。
人間に「信じる」機能や「直感」というセンサーが付いていたり、
偶然を必然に変える力があるのはきっと
今の知から演繹でも帰納でも伝うことの出来ない、
知の外にある”対偶”へ、知らないことすら知らなかったことに
気づくためなんだろうな。
ただまあ、そんな瞬間はそうたくさんはないので、
一番効率がいいのは、いろんな人にリアルで会うことだ。
それはリアルのアドバンテージ。
普通に適当に受動的に過ごしていても、
次の瞬間にものすごい自分の無知に気づかせてくれる人と出合ったりする。
他人という融通の利かない存在ほどすごいものはない。
なんていってるうちにその辺もウェブでまかなえちゃったり
する日が来るんですかね。
ついつい妄想。