人が一番の娯楽だったころ
はてブに上がってた書評(というか詳細なまとめ)”持たない暮らし”を見て
私のことかー!
と早速買った。
リンク先のエントリが充分詳細で上手なまとめなのでそれでよいくらいなんだけど(それゆえ引用しすぎという批判も多い?みたい。確かに多いな。この辺の加減はよくわからず。Amazonのなか見!には賛成だけどね)、
まあ、あの、おかげさまで、とりあえず買いましたよ私は(笑)。
- 作者: 金子由紀子
- 出版社/メーカー: アスペクト
- 発売日: 2006/12/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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万年掃除ばっかりしてるような気がするのです私。
その割には成果が見えない。
はっきりと要らないものは全部捨ててあるはずなのになーんかモノがまだ多い。
その理由がよくわかりました(何処かでは分かってたんだけどね、うう)。
よい本でした。
この方くらい爽快に吹っ切れるかは別として、いろいろ自分の無意識がしているおイタを強制しようと思ったのでした。
ただでさえエネルギー少なめ(省エネ体質)なので。物にも吸い取られやすい(ほんと)。
引用はもうしないとして(笑)、、と思ったんだけど一つ。
考えさせられた章があった。
私がはじめて出産したのは30歳をいくらか過ぎてからのことですが、出産を前にした私がいちばん驚いたのは、巷に流通するおびただしい「出産、育児グッズ」の数々でした。
「何万円もする、高級ブランドのマタニティウェア」
「お腹の赤ちゃんと会話(?)するための器具」
「使い捨てのおしり拭きを温めるウォーマー」
「別室で眠る赤ちゃんの監視をする通信機器」
「赤ちゃんの鼻水を吸い取るチューブ」
・・・。
母親学級で一緒になったほかの妊婦さんは、
「もう30万円使ったけど、まだまだ足りない・・」
と、お買い物リストを一生懸命チェックしていました。その膨大なチェックリストを見て、
「私たち日本の妊婦(母親)って、本当に孤独なんだなあ・・・・」
と痛感しました。
青年海外協力隊員としてアフリカに派遣された、ある助産師さんの文章を読んだことがあります。そこには、アフリカの育児にはいかにモノが要らないかが書かれていました。
彼女が派遣された国の人々は、お産にも、育児にも、たった一枚の布さえあれば困らないのだそうです。でもそれは、その国(GNP的には貧しい国ということでした)の人々の間に、濃密な人間関係に支えられた強固なコミュニティが健在で、モノはなくても、人の手ならいくらでもあるためのようです。そして、子供を生み育てることにいちばん重要なのは、便利グッズなんかではなく、たくさんの目と手なのです。
-『持たない暮らし』第2章 p79「友達がいればモノが要らない」
・・モノは、、多すぎるなあとはずっと思ってる。
モノも、サービスも。
私も含め、それで生計を立てている人が多いんだからしょうがないんだけど。
モノが飽和しようが、今までは存在しなかった需要を与え、不安を与え、憧れを与え、飢餓を与え、そのモノが必要であるという文脈を作ってモノを売っていかなきゃ、
生活していけない。
でも何のためかよくわからない。
これだけ豊かになったら私達は今頃、働く時間は半分になって、
その分家族と遊び、学び事をし、文化に親しみ、スポーツをしてるはずなのに、
あんまりそれをしている人がいない。
人と向き合う代わりにモノを増やしてなにやってんでしょうね。
欲しいモノの方を向かずにお金の方ばっかり向いて何やってるんでしょうね。
ちょっと脱力。
もちろん、アフリカにも日本にも、いいところもあれば悪いところもあるのは当然だけど、
そして、私達が失ったものの代わりに手に入れたモノの有難さも充分感じてはいるけれど、
アフリカの、育児に対して”人の手ならいくらでもある”っていうのは、素敵だなあと思う。うらやましい。
うちは田舎なので、まだ、おじいちゃんおばあちゃんが孫のの育児に全面協力をする姿を見かけるけれど、都会のお母さん、お父さんはもっと孤独だろう。
私は育児については全然詳しくないけど、父母だけで子供を育てるもんではないんじゃないかという気はしている。ある程度大きなコミュニティでみんなで育てるとか。
今の日本じゃ不可能に近いけれど。
ちょっと家庭が閉じすぎちゃってて、家庭ごとの落差がありすぎる感じがする。
お父さんとお母さんにかかる責任も重過ぎる。年齢に対して。
産めるのは若い人だけど、育てられるのはもっと歳を重ねた人の方が余裕がありそうだし。。
著者は続ける。
出産・育児に限りません。会話のない家庭に、何台ものテレビがあり、石油も出ないのに、こんなにたくさんのクルマがひしめいているのは、私たちが大切な何かと引き換えにしたからです。私たちは、人と人とのつながりを失って、それをモノで埋め合わせようとしているのにほかなりません。
もう、携帯電話のなかった頃には戻れないけど(ところで私は着”メロ”が無かったころくらいまでなら戻れます。3和音くらいでOK、、閑話休題)、
せめてこれ以上、”新しい不足”や”新しい不安”を生み出さないように、持たないように、
今に満足する力、今を満足する力を培いたいと思った。
人がいればいいんだよな。人といれば。人が娯楽だもの。楽しいのは人だもの。
って、今はそれがいちばんの高級な娯楽か。
そのために”モノを節約”しなくっちゃ。
多分、今のウェブ(2.0)がほぼ無料で繋がり系が多いのがね。
そういうことなのかなと思った。
繋がり直し始めている。私達。お金ではないところで。
ゆり戻してきている。
そんな気もしつつ。
さて。この週末はこの本にならって、リアル物品の整理をがんばるぞ。