今日、生きていた私。
作曲家の江村哲二さんが亡くなったと知って、驚いた。
膵臓癌だそう。47歳。若すぎる。
江村さんのことは、茂木さんと共同でプロジェクトを始められたということで知った(トランスミュージック2007)。
きちんと追っかけてはいなかったけれど、茂木さん作の英詩に江村さんが音楽を付けられ、
先日”世界初演”がなされたばかりだった。
朗読とオーケストラのためのこの作品は,伝統的な協奏曲(Concerto)の形態ではあるが,それは協奏,競奏ではなく「共創」Co-creation という概念を導入しようと思っている。それは武満さんの《ノヴェンバー・ステップス》という名作にそのヒントを頂いている。
transmusic2007: 動線の確認
江村さんについて何の知識も持たずにブログ(江村哲二の日々創造的認知過程)を読み始めたのだけれど、
作曲のほかに”研究”という文字が出てきてん?と思ったら、
兵庫県西宮市出身。名古屋工業大学大学院修了。作曲はほとんど独学で学ぶ。ブザンソン国際作曲コンクール、ヴィトルト・ルトスワフスキ国際作曲コンクール、共に優勝など、内外の受賞歴多数。金城学院大学人間科学部教授。
江村哲二 - Wikipedia
という経歴の方だった。企業にもお勤めだったし、
今も研究をされているようだった。
それにしてもintelというのは懐かしい。大学時代からコニカ(現コニカミノルタ)の研究者であった頃,インテル8080,ザイログZ80などのいわゆる80系のチップのアセンブラとマシン語をずいぶんと使った。基本的には今でも同じであろう。私にとってのプロセッサは68系の方が異邦なのである。
ところで,そこでの仕事は「発明」であった。足繁く特許庁にも通い,競合他社からの異議申し立てにも勝ち抜いて,正式に登録された特許は,国内,米国合わせて10件以上になる。公開になっている特許は数えきれない。自由奔放に飛び回る作曲家としての2重生活も厭わず認めてくれたし,作曲賞を取るたびに社長名で会社からも賞を頂いた。本当にいい会社であったと思う。いまでもすごく感謝している。いつかどこかで何か恩返しができればなぁと思う。
ドメインパーキング
そうか、作曲だけでなくいまやっている研究(結合非線形振動子によって駆動されたリカレント型神経回路網のモデル)のその後の計算結果も、時間を見つけて早くジャーナルに投稿しなければと発破をかけられた気がした。Publish or Perish!
ドメインパーキング
私は昔理系色が強めの大学で(私は文系だけど)でオケをやっていたこともあって、
クラシック音楽をこよなく愛する研究者の人たちを山ほど見てるので、
そういう二足のわらじを履いている人にまったく違和感はないのだけれど、
研究にせよ作曲にせよ、大変な労力とエネルギー(そして能力)が要ることを、
両方プロフェッショナルとして両立させている人というのは稀なわけで(普通どっちかは趣味)、
この人はなんてすごいんだと尊敬した。
きっとこれからもすばらしい仕事をたくさんされるんだろうなと思っていた。
ブログを読んでいたら、去年ご両親を両方亡くされてもいたようだった。
うう。
私はまだ人生で近しい人を亡くしたことがなくて、そういう感覚は分からないのだけれど、
でもブログをいつも読んでいた人が亡くなるのは、ちょっとそれに近いのではないかという衝撃があった。
悲しい。
茂木さんのブログを読んだら、茂木さんにも伝えてはいらっしゃらなかったようだった。
サントリー音楽財団の佐々木亮さんから
お知らせを受けたのは月曜の夜で、
あまりのことに呆然となった。
入院されたとは聞いていたが、
まさかそれほど重い病気とは知らなかった。
ご家族はご存じだったのだろうが、
私たち関係者は誰も知らなかった。
「あの方は、そういう人なんですよ」
茂木健一郎 クオリア日記: 想い出
と佐々木亮さんは言う。
「初演を成功させることだけを祈って、
黙っていたんでしょう」
私達が知らないのは当然だけれど、茂木さんのように、一緒にプロジェクトをやられていた方達のショックはどれほど大きいかと思う。
「あの時、かの人は既に知っていたのだ!」
茂木健一郎 クオリア日記: 想い出
と思うと、振り返ってよみがえる
想い出が、全く違った意味をもってくる。
死を受け止めるということを考えたときに、いつも思い出す映像がある。
何度かどこかのブログに書いたけれど、
昔ニュースで見た、何処かの国の、戦禍の中にいる子供達の話。
彼ら、彼女らは、毎日自分の友達が死んでいく。
その一人のある少女のお祈りを、カメラは写していた。
彼女の祈りは、感謝だった。今日生きていられたことへの。
今日まで生きてこられたことへの。
自分のせいではまったくない戦争で友達が死んだり
自分が明日死ぬかもしれなかったりすることへの、
恨みでも恐れでもなく、ただ、
自分が今この瞬間まで生きてこれたということへの感謝だった。
それを見て、自分がいかに世界を反転して捉えていたかを思い知った。
先進国、平和な日本。死に理由がいる日本。
今日自分が生きていることの奇跡に目もくれず、
「明日死ぬかもしれない」ことを気にし、「なぜあの人が死ななければならなかったか」を悔やみ続ける私達。
今日まで生きていたことは自明で当然な私達。
方や、死が普通で、今日の生が奇跡であった彼女。
私は、いつか聴ければいいだろうと思ってこの演奏会は行かなかった。
それを今は悔やむし、もう作曲者立会いでは聴けないのだと思うと悲しい。
けれど、違うんだよね。
そんな苦しい中を、それを誰にも悟らせずに、
初演をやり遂げてくださったことの奇跡に感謝しないといけないね。
ただただ「祈る」ということに,そのひとにとってどのような思いがあるのか,いや,もっと言えば,ヒトがヒトであることはその創造性にあるとずっと思ってきたけど,そうではなくて,それは「祈る」ということにあるのではないか。それは「愛」であり「希望」であり,そして,
「悪」とは「絶望」すること,である。
ドメインパーキング
私も祈ります。
江村先生、お疲れ様でした。
天国で思う存分研究、作曲を楽しんでください。