旧 はてブついでに覚書。

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クラシックのCDってあんまり買えない。

他と比べて高いっていうわけでもないんだけど、
曲数は他ジャンルに比べたらそんなにないくせに、同じ曲で違うオケ×違うソリスト×違う指揮者×違う年代のバリエーションがありすぎて
どれがいいとかって選んで買ってらんない。
(好きな指揮者は一応いるけど、小説とかと違って、別にその人のばっかり欲しいわけじゃないし、、)
そりゃ昔アマオケやってたころは周りのマニアに色々借りて自分も多少買って貸してってやってたけど今はそういう人も周りにいないし、
レンタル屋さんに第九が100種類とか置いてあったりは絶対しないし、
CD屋さんで視聴っていっても結構長いこと聴かないと好きかどうかわからないし、
レビュー雑誌読むのもめんどいし、、
とかとか。


とか言ってて思い出した。
そうだ、そうやって「一度しかない」のがそもそもの音楽でしたね。
普通のポピュラーミュージック(っていう言い方でいいのか?)は
私なんて、CD用に録音されたものを”唯一”として買って
みんなと同じもの持ってそれで満足してるけど、
各アーティストはそれらをライブで大切に歌って、どんどん成長させていってるんだよね。
その1回1回が、ほんとは各CDとしてリリースされてていいくらいに
素晴らしい(はずな)わけだ。


こちらの熱いエントリ
音楽配信メモ プリンスはなぜ新作CDを「新聞のおまけ」として配布したのか
を読んで、CDよりライブの価値を前に押し出したプリンスかっこええと
思ったけれど、


なんだろう、完璧な環境で何度も録り直したスタジオ収録のCDが
基準や理想系として素晴らしい存在意義があるとしても、
それを売ることがアーティストの最終目的ではないね。そういえば。


予習プリントみたいなもんかも。
授業までに読んどいてーみたいな。
あくまでもそれは基本だから。
これからこの音楽をいろいろ歌いこんでいじっていくぞ!
という。


無数のアーティストがいて、
無数の曲があって、
それぞれに1回しかない、唯一無二の演奏が、
毎日毎日、地球上で生み出され続けてる。


そう思うと、ほんとは、私がクラシックCDで悩むくらいに、
いやそれ以上に、
もっともっと一つの曲に対してファンが触れられる演奏の数が多くていい。


でも今のCDの価格じゃ絶対無理。
(ダウンロードなら、まあまあね、、)


やっぱもっと曲単価下げて、その代わりもっとたくさんリリースして、接触回数を上げるべきだよ。
1人のアーティスト、1つの曲で何バージョンもリリースされていいんだよ。
ネットのおかげでパッケージにしなくても流通できるようになって
配信コストがずっと下がったんだし。。


んでクラシックマニアの人達みたいに、
あの曲は○○年のどこどこライブ版が最強!とかファンで言い合えばいいじゃん。
コメントしあったりとかさ。ニコニコ動画とかみたいに。


あ、とりあえずCONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ (NT2X)買わなくちゃ。



関連エントリ:はてブついでに覚書。 - どれだけの音楽を私達に供給したいと思ってるんだろうねレコード会社って。