怒る能力、傷つく能力
一日一緒にすごして同じもの見て同じ経験して、
こちらはさてまずまずの一日だったと思ってその人の方を見たら
「最悪だった!」とかって今日の最悪だったことを何個も並べられる知り合いがいるんだけど
まあそれは面白いから全然いいんだけど(そこかい!みたいな発見があって)、
つくづく思うのは、怒りや悲しみは、その人のものだねぇ。
愛や優しさがその人のものであるのと同じようにね。
愛は他者に報いられなければいけないわけでもないし、
悲しみは他者に癒されなければならないものでもない。
と、いうか。
まあ、自分のものですから。
感情の時点ですでに結果というか。完結している感じがする。
で、それを他者がどう受け取るかはまた、
その他者のものだね、、。
なーんてぼけーっと聞いてると何が最悪だったか話は永遠に終わらないので、
もちろん超同調しますけれどもね、リアルでは(これが話を早く終わらせる最善手)。。
しかし、自分の感情は他人に癒される/報われるべきだ!
という考え(というか性格か)の人は、結構辛いんじゃないかなあと、
ちょっと思う。
他人がプレッシャー感じて逃げてったりするからさあ。。
あと結構不満抱えて毎日生きることになったりしているんではないだろうか。
あと自分が喜ぶも悲しむも他人次第みたいな不安がいつもあったりとか。
よくわかんないけど。
いあま他者に癒して/報いてもらえるんだったらもちろん私もそのほうがいいけど、
別に、そうだったら儲けものというか、まあそれをやるやらないは他者の自由だからなあ。。
道徳の授業ってこういう感じの話するんだっけ?
しないか。
昔は私も自分の感情処理に他人を使ってたことあった気がするんだけどな。
どこで気が変わったんだろ。
うーむ。まあいいやまた考えよう。
さておき、なんていうかさ、この辺の感覚の齟齬が
ネットでの意見の食い違いみたいなのの原因の一つに
なっているような気がして。
この感情はお前のせいだ!!みたいなね。。
いやそれあなたの脳内テンプレートが勝手に受け取っただけですから。
と言うとよけい怒られるからとりあえず謝っとけみたいな。
・・難しいですね。