手に入れていながら触れていない文章への執着とTwitterと私
ちょっと空いたららblogの書き方を忘れてしまった。
やっぱり自分の関心をある程度の長さの文章で残しておくのは
わりといいリズムだったかもしれない。思考の。
だらだら。
最近Twitterがまた流行りだしたという。
国内でミニブログブームが起きたのは2年くらい前だけど、
結局先駆者のTwitterがやっぱり一番なのね。
企業や政治家や芸能人、有名人のアカウントが少しずつ増えてきた模様。
相手がどこのだれだろうがどんな肩書だろうが何歳だろうが
そんなのはお互いどうでもよくてフラットに気軽にドライにオープンに無責任に
楽しく使えるこのツール、
要はリアル社会で年上であったり権威があったりする人たちのほうが
日本のリアルではあんまり出会わないような不躾に対する寛容さ、フランクさが要求される場なわけだけれど、
「一般人」との線引きで自分たちの価値をある程度保つ必要がある人たちが、
うわべだけのフレンドリーさを超えて、
どう自分の価値をコントロールしていくかっていうのはわりと見ものですかね。
見ものっていうのはちがうか。
なんというか、気を遣いすぎて全レスとかしてると寿命短いだろうし、
かといって全スルーも選択レスもキャラによっては嫌われるわけで、
その辺のコミュをがんばれーーーという。
blogのコメント、なんかとはまた雰囲気違うからな。
なんて横目で見てましたが、わりとみんな上手ですよね。さすがプロだなー。
あと、企業や政党がマーケ用に使うっていうのも素敵なんだけど、
ただお知らせやURL流すだけなら単なるノイズだし、
その辺の出し方、「口の利き方」がキモなんだろうな。
Twitter流れる情報量というのは多いので、ユーザーがどうやって
フィルタリングしているかというのを研究しないとね。。
Twitterって何が面白いのっていう人は、効率よく情報摂取する目的で言ったらノイズ多いじゃん、
っていう見かたの人が多いと思うんだけど、
ところがどっこい(古いか)、一番情報として価値があるのは、
その人の人間臭さがただ現れてるだけのまさにWhat are you doing?ですよ。
情報情報した情報はほかで流せばええねん。
そうそう、Twitterの良さというのはいろいろあって、
やっと最近人にそれを伝えられる気がしたので、
私は私でエントリとしてまとめておきたいなと思うんだけど、
さておきまずひとつ、一番大きな収穫がなんだったかといえば、
それは「全部のつぶやきを読まなくていい」という境地に至った経験だった。
私は結構なネット廃人なほうだったけど、それでも別に
1日中パソコンの前に張り付いているわけではないので、
100人もフォローすればすぐに1日のログは追えなくなる。
最初はそれがもったいなくて結構さかのぼって読んだりしていたんだけど、
まだまだフォローを増やしていくうちにすぐにギブアップ。
で、「あ、これはもう縁だな」という。
その時たまたま見てるタイムラインに自分が居合わせるだけでOKだなという。
(Twitterも不具合が多いのでさかのぼれないことがあったりしたのも幸いしたw)
「手に入れているのに触れていない文章に対する執着」
というようなものがなくなった瞬間だった。
そういうのはTwitter以前に一度経験していて、それはRSSリーダー。
気になるblogやら検索結果やらを片端から登録して整理していないので
常に未読は1000エントリ以上。
それだって昔は全部消化して・・・なんてやってたけど、まあこれも早々に諦めた。
ただ、blogはいつか読むというか後で読めばいいや、という気になりやすいのに対して
Twitterはリアルタイム性が素敵なので、
そこでまた、一度は捨てたはずの執着が生まれたんだなあ。
blogは情報であり、Twitterは人間臭さを拾う場所なので、
違う感じの摂取目的になるのよね。
そうやって、日々触れられる文章の量にある程度諦めを持つというか、
縁や運で片づけてしまうようになると、
インターネットの情報過多も楽というか、適当にフィルタリングして
ストレスなく過ごせる。
まあわりとみんな通っている道なのかな、と思う。
ただこれ一般的な感覚じゃないよねまだ。
インターネットの情報を一生懸命全部見ようとしている人たちというのは、
まだたくさんいるんじゃないだろうか。
私のこの文章への執着というのはどこから来たか考えると、
多分私たち世代くらいまではかろうじてあった、
活字信仰のようなものだと思う。
買った新聞や雑誌はもったいないので隅々まで読む、みたいな。
本も通読する、みたいな。
今なんてそんなことやってたら時間足りないのでもう
結構な速さで流し見なり拾い読みなりして、
雑誌なら1記事、本なら1フレーズでもなんか得るものあれば
元は取れたくらいの感覚でいるけど、
昔は一つ一つ、じっくり読んでいたんだよなあ。
積ん読とかもそうだよね。
あの本読んでないこの本読んでない!
昔は他人や先人の読書量にいつも圧倒されて焦ってたりしたんだけど、
なんかこの辺も最近は縁で片づけてるなあw
読む必要あれば読むだろうベストなタイミングできっと、みたいな。
まあでも本も逃げないからいいよね。
センセーショナルに出版されても要らない本は5年後にはなかったことになってるし、
古典はずっと残ってるし。
ニュースなんかもね、昔はなんでなんでも知ってなきゃいけないなんて
思わされてたんだろうっていう。
リアルタイムに知ったからって自分が何かしたり出来たりするようなものは、
新聞に載っている1%もないんだから、
時の流れでそういうフィルタリングが終わったころに摂取すれば
効率いいのよね。
あーそういう意味ではTwitterだと
時間限定クーポンとか流すといいんだろうね>企業アカウント
Twitterは逆に、リアルタイム性にこそ価値があるから。
梅田さんはウェブ進化論のころに、
情報過多の時代において玉石混合の情報を振り分けるシステムが洗練されることが重要、
ということを書かれていて、
今でもインターネット上では様々な情報編集ツールの開発が
試みられているけれど、
まあ結局は「人の頭」なんだろうな最大のフィルタは。
これからもチューンナップ修行は続く、というかんじ。
楽しい作業ですなあ。