旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

メタ意識の時代へ

意識というのが人間の、第一次情報ではないのかもしれない
という気がしてきたこのごろ。


潜在意識・・・というのと同じなのかは分からないけれど・・・。


「こういう性格なんだからしょうがないじゃない」
「こう感じちゃうんだから仕方ないじゃない」


そうやって私たちは、
性格や感情を、制御できない、いかんともしがたい
それこそが自分の個性だと思ったりするけれども、


どっこいそんなもの、全くアプリオリではない。


確実に選んでいる”自分”が別にいる。
この場に於いてこの性格を、この事象に対してこの感情を!


今、自分を「やる気にさせる」方法論が流行りだ。
そう、人間、どんなアビリティを持ってたって、
発揮するモチベーションがなくっちゃ意味がない。
何が出来るか以前に、
それが最大限発揮できるように、本人がどんだけテンション上げていけるか、
人間自体のインフラが整備が要る。


モチベーションは、たまたま他人が焚きつけてくれることが多い。
ただ、これは、本来は自分の責任だ。
やる気が出ない。無気力。
別にそれはいいけれど、自分を無気力へ運んだのは自分だ。
せっかくの能力を、才能を眠らせ、怠惰のうちにたゆたわせた、
それは”しょうがない”んじゃなくて、自己責任だ。
たとえそれによって、どんなに人生がつまらなくなっても。
どっかで性格の選択を、感情の選択を間違えたんだ。
他人のせいにして、それに気付かなかったんだ。


親と学校は上手く教えてくれなかったけれど、、、。


悲しくてしょうがない。
辛くてしょうがない。


で?


あなたは次の瞬間に、どういう意識を選択するのかな?
自分にどんな意識を選択させるのかな?


そういうこと、誰も聞いてくれなかったけれど、、。



でも、これからの教育で、本当に
「勝ち組」を育てたいのであれば、どんな能力よりもなによりも、


自分の心を穏やかに、楽しく、そしてやる気にセッティングできる人が勝ちなんだよ*1


という、情緒アビリティを、その重要さを、
まず教えたほうがよいんじゃないかと思う。


多くの人は、それでも何かの本を読んだり誰かの話を聞いたりして、
そういう方法を学んでいくけれども、その反面、


どうも自分のテンションを上げる責任を
放棄している人も多すぎる、と思うこのごろ。

*1:追記:例えば最近流行った『下流社会』とかいう言い方でも、頑張っても報われない人が負けなんじゃなくて、”そもそも頑張ろうと思わないことが負け”って価値観になってる。