しかし勝てばよいのか。
格差社会を「しょうがない」とし、
「だからみんな勝てるようにがんばりましょう」というような感じに、
薄く政府が言っているような気がするんだけど、
日本人全員が”勝ち組”になれるわけはない。
勝つためには、負ける人が必要だ。
何の勝ち負けかっていうと、とりあえず、
割のいい仕事(or華麗にリタイア)してる人と、割の悪い仕事をしている(or貧乏無職)の人。
だよなあ。
前者が勝ち組、後者が負け組。前者が上流、後者が下流。
これすなわち格差社会という。
政府は、その格差が固定しないように、
再チャレンジできるような社会を作りたいらしいけど、
格差自体の存在は否定しない。
実際、日本が完全にそんな(何度でもチャレンジ可能な)文化になるには、
たぶん今の40代以降が全部亡くなった頃だろうと思うけど、
(価値観なんてそんなにすぐ変わらない)
たとえまあ多少流動性が出てきても、とにかく、
一定の「底辺」の人たちは必ず存在する仕組みになっている。
かくいう私は就職氷河期ど真ん中の世代で、非正規雇用組。
日ごろはあまり我に返らないように毎日エンジョイ(古!)しちゃってるんだけど
たまに、きちんと上を目指したほうがいいのかなあちゃんと、なんて
乗せられて、思ったりもする。
しかしだなあ、下流君メンタリティって言われちゃいそうだけど、
そんなに上目指してどうすんの?という気もする。
上を目指しましょう!仕組みが悪いんじゃないんです!勝てばいいんです!
・・・って普通にねずみ講じゃない??
一億総ねずみ講社会。うげ。
たとえ”勝った”としても、
安い人件費で働いて、いっぱいいっぱいの生活を甘受してる人が
ある一定数確実にいる社会の上で、「いやあ私幸せ♪」と言えるかどうか自信がない。
どうせ将来年金がないんだからついつい貯金しちゃったりしてさ。
寄付や慈善事業なんてちょっとしかしないんだろうと思うし。
「彼らも誰かを使えばいいんです!」とか、「自立すればいいんです!」とか、
そんなねずみ講の親の人みたいに朗らかに言い放つ自信もない。
・・・普通に考えて、これだけ働いてるのが幸せなのかね。
たとえ自分の天職でもさ。
日本人が全員「勝つ」=社会のあり方の成功って、
私のイメージだと、
みんなが1日4時間くらいしか働かなくて、バカンスもしっかり取って、
みんな充分物も食料もあって、残りの時間を家族と過ごしたり趣味に使ったりして、
平和に暮らすことなんだけど。。
今の社会って間違ってもそういう方向にはいかないよね。
ちょっとでも気を抜いたら「負け」だもんね。
なんかこう、私たち、いろいろともう充分に持ってる気がするんだけどなあ。
なんでこんなにもっと生産しなきゃいけないことになっているんだろうか。
うーん。
なんかいろいろ勉強不足なんだろうな私。ふむ。