強調表現社会
ワイドショーのいい(?)ところは、
「ここ怒るところですよ」とか、「ここ嘆くところですよ」とか、
価値判断のサンプルつきでニュースを流してくれることだ。
このニュースでどこがポイントかを自分で考える必要がない。
それはワイドショーが用意しておいてくれる。
あとはその価値判断に、賛成するか反対するかすればいいだけの状態になってる。
楽だ。
淡々と事象を述べるNHKのニュースとは違う。
お笑いも最近はテロップが出るようになった。
笑うところはちゃんと強調表示される。
ここ笑うところですよ。
ブログも本も自分で太字や大きい文字にしてくれるものが多くなった。
そうかそこが重要なんだな。
分かりやすい。
それはいいんだけど、
そういうのに慣れすぎてくると、
強調表示されていないものをスルーするようになるから怖い。
強調表示というのは、それをした人の価値判断の表明だけれども、
それを優先的に採用するということは、
他人の価値判断の上に盲目的に乗っかっているということだ。
・・昔、読んだ本を久々に読んで、昔自分が線を引いたところ見つけると、
なんて幼く、かわいらしい場所に線を引いていたんだろうと
思うことがある。
今なら違うところに線を引く。
そして未来の自分はまた違うところに引くだろう。
きっとそれは、より、本質に近い場所に引かれるだろう。
と思う。というか、願う。
リアルワールドに解説は付かない。テロップも出ない。ぶくまも出来ない。
自分が重要だと思うことは、
自分の心が捉えて、自分で線を引き、自分で太字にするしかない。
上司が何かで読んだことには、教養とは、一人で楽しめること、だそうだ。
何にでも自分で価値を見出し、瞬時に楽しめること。
ちょっと違うかもしれないけど、つまりは、
自分の感受性ぐらい
http://www5.ocn.ne.jp/~ngekijou/ibaraki.html
自分で守れ
ばかものよ
自分の心より先に、
他人の強調表現を、
採用しないこと。
と、今日、私の心が言った。ので、守るようにしたいと思った。