旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

中くらいの罠。

世の中にはいろんな基準がある(というか作り放題だ)けど、
たとえば外見の話。


すごい美人でスタイルのいい人は、モデルさんとかになって、
すごい美人でスタイルのいい人たちばっかりのところで生きるから、
そこで自分が生き残るために、外見以外の所でも、すごい努力する(知性とか教養とか)。
ちょっと今生、顔やスタイルで勝負するって言っても勝ち目なくね?という人は
その基準(フィールド)とは違うところで自分の価値を確立するために、
外見以外の所でものすごい努力する(知性とか教養とか)。
で、いちばんどうしようもなくなりやすいのが、”そこそこ外見がいい”人なんだって。
外見を商売に生きていけるほどじゃないからそういう世界には行かないし、
かといって周りを見渡す限りだと自分が一番なので、ちゃんと毎日ちやほやされる。
で、それで自分が価値があるんだと思って、外見以外の所には、特に何も努力しない(知性とか教養とか)。


1番目と2番目の人は人生豊かになりそうだけれど、
3番目の人は歳を取った(外見の劣化に抗えなくなった)時に辛いわけだね。。


というような話を5年くらい前に雑誌だかウェブだかで読んだんだけど、
誰の話だったんだろう・・・。
恐ろしや、そこそこの罠、ぬるま湯の罠ですよ。
と、私は、外見もそれ以外も”気にしない”という第4の道を疾走中なわけですが(おい)、、。


ま、外見の話はともかく、話の教訓は、
なにががしかのフィールドで中途半端に褒められてる時が一番危険だよ(使えない人間になるよ)、
ということでした。


でもさあ、罠だけあって、さして大きなチャレンジもせず、
そこそこやれてる時って一番楽しいんだよねぇ。
その辺のメンタリティが、凡人の凡人たる所以すかね。
勝負に出ない限り、自分の実力のなさが露見することはないし、
それっぽく振舞ってそれっぽく見られればいいか、みたいな時、場所。
まあ、問題は「いつまで夢を見て暮らせるか」なんだけど。。


どうにかすると、夢見たまま死ねるんじゃないかってことも結構あるだろうね。
ここまで来たし。これからもいけるだろう、みたいな。


ただ、人生の「充実」って、
イコール「自分がどれだけ中途半端じゃない時間をすごしたか」ってことだと思うので、
そこそこ適当にいい湯加減で楽しく人生を終えるっていうのは、
凡人として理想の生き方であるように見えて、
大きな代償を払っているのかもしれませんね。
”本当の充実”を知らずに生きる、っていう。


ま、ま、とりあえず私は中途半端と呼べるものすらないので、
そんな心配してるくらいだったら、
せめてなにか中途半端でもいいからやれよ、って感じではありますが。
うーぬ。
(せめて山月記の中の人みたいなメンタリティになってみたい。ダメ例みたいになってるけどさあ、あの虎さん、相当がんばってる部類の人だよねえ。ねえ。)