旧 はてブついでに覚書。

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あ、そうなんだ。

 ⇒猫を償うに猫をもってせよ - バタイユ入門

 ええ、『バタイユ入門』はいい本でしたよ。キリスト教徒以外にはバタイユは何の意味もないということがよく分かりました。日本のインテリって、キリスト教徒でもないのに、どうして『黙示録論』とか『カラマーゾフの兄弟』とかを読んで感心できるんでしょうねえ。ふしぎ。

 いや、まったく、そ。

猫猫先生、喝破するに - finalventの日記

西洋哲学史の授業でもなけりゃ哲学書に縁がなかったような人間なんですが、
そうはいってもなんか真理的なものはあるだろう、絶対的なものがあるだろう、
と下心満載で読んでみたら、
みんな普通に「神」とか書いていてびっくりした。初めて読んだとき。
否定するにせよ肯定するにせよ必要であると言ってそれ以上語りえないとするにせよ、
神という単語を、最初からなかったものとして全スルーで語ったりしないんだ、
それでOKなんだ、誰も突っ込まないんだ。
ってのに驚愕した。


つまり、
哲学って、普遍っていうより、
それぞれの文化の知恵だよなあ。
という。。


私はたまたま世界観の中に神様がいない育ち方をしたので、
当然神との葛藤はないし、
わざわざその文化をがんばって取り込んで葛藤を模倣する必要も、、、
ないかなというか、私の仕事ではないなと思った(負け惜しみ)ことを思い出します。


でも私以外はみんなわかるのかすごいなあと思っていた。
そうでもないのか。よかった。


ただ、そういう文化の違いを超えて、理解しているかどうかはわからなくても、
勘違いでも、自分の何かが共鳴してしまうっていうのは、
たくさんあるんだろうけれど。。


難しい哲学用語満載で語れる人に対するひがみかもしれないんだけど、
無駄な概念って案外多いんじゃないかと思う。
プチなんとか症候群とか100個くらい作れちゃうのと一緒で、
概念も次元もシチュエーションも役割の名前も無限につけられるだろうけれど、


そもそもその概念の理解やそれを使った問いを理解するのに
すごい苦労するような問いだったら、
なんだろう、
たぶんその概念私の人生に関係ないよ。。