過去からの承認
日々のコミュニケーションは、とりあえずラリーが続くことを目標にしてる。
自分の言いたいことと、もらいたい反応にあわせ、表現を選び、言葉を発し、
期待通りの反応をもらうと、安心し、次を投げる。
基本的にはこの繰り返しだ。
期待通りの反応でないならそれはそれで面白く、それでも最後は、期待通りになるように、
なんとか持ってけないかななんて思ってる。
期待通りというか、想定の範囲内、かな。
そこに、なんとか落ち着くように。
先に承認や反応への期待があって、その期待通りの承認が得られれば、
人は満足する。
自分が設置した承認の的に、相手が当ててくれるのを待ってる。
相手がくれる承認、
それをたいていは、すでに自分は知っている。
それがもらえるように、あらかじめ用意しているのだから。
その承認は、相手の発露より先に自分が望むものとして存在していたから。
つまり、相手の今の承認は、
私に取って、過去だ。
過去に設定した価値。過去に想定した感情。
想定の範囲内とは、そういうことだ。
何も新しくない、とても安心する感情。
自分が先に設定した価値を、
少しだけ後で誰かが承認してくれる。
それは素晴らしいこと。
それだけで素晴らしいこと。
しかし私はその承認をすでに知っているのだ。
知っているものを受け取っているだけなのだ。
他者の承認を目標にした行動は
確かにそれを得たときに、素晴らしい充足感を得る。
しかし目標としているのは、よく見たら、それは自分の過去だ。
自分の作り出した承認という枠。
そこを出ない価値。
コミュニケーションの大半は、それで過ぎていくし、
そんなマッチポンプで、人生は満たされていく。
自分の想定したもの以外は望まずに、
自分の想定したもの以外は受け取らずに。
だけど人はきっと本当は、ラリーだけじゃ空虚だ。
そしていつか、
選ぶ日が来るのかもしれない。
どんな球を返すか全く分からない相手に、
承認をしてくれるかも分からない相手に、
すべてを投げ出して、突進することを。
自分の過去なんかじゃない、
本当の承認に向かって。